2015.12.4
アパートの棟数が増え建物管理を組織化しないと回らないようになり、そちらに時間を取られ、更新を長らくしていませんでした。東南海トラフ地震の影響を受ける海に近い、大阪の市内の区分所有のマンションを全て売却し、大阪北部のアパートに組み替えてしまいました。
最近、やっと落ち着きました。
2年前までに、アパートを次々と買い足しておいたのが良かったです。現在、アパート市場は、売り手市場で、利回りの良い物件は、完全になくなってしまいました。老後の不安な人や、サラリーマン大家になったりとアパート経営に参入する人が激増したのに加え中国人の爆買いが投資物件にまで及んでいます。

僕のお客様も、僕のアドバイス?もあって、アパート経営を本格化させておられる方もおられます。現在、うまく経営されておられるので、喜んでおります。

更新していないあいだにも、御客様は来てくださり何組も成婚しています。
後日、また、案内させていただきます。

その間ににも、世相は大きく変わり始めています。
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4年ほど前、中国のGDPが日本を抜いた時、計算の方法に問題がある。
などと、負け惜しみみたいな報道をともなっていた。今や中国は、GDPが日本の二倍以上の大国となってしまった。この、成長の早さ、規制緩和の進まない日本と違い、国民の権利が制限されているので、決定政策の施行が早い中国の成長には敵わない。

福島県で、発生する放射能汚染ゴミの処分場の確保で、荒唐無稽な用地確保の作業が進んでいる。
ある1筆の土地の地権者は、相続に相続が発生し、1000人以上となり、多くは連絡が取れない状態である。
また、習得すべき土地に生えている、木(財産)の一本一本の太さを測って、その土地の価格を鑑定している。放射能の汚染した直径10cmの一本の杉の木はいくらだろうか?間伐材にもならない。その木の価値を測るために、高額な報酬の不動産鑑定士が防護服を着て特別危険手当付きの報酬をもらいながら、現場を右往左往している。
たった一人の共有者地権者の合意が得られないだけで、福島県全体の原子力発電所災害復旧の事業が前にすすまない。これで、地元復帰できない人の数がどのくらいいるだろう。その期間は、どのくらい長くなるだろうか?汚染ゴミを片づけられない事の損失は一体いくらになるのだろうか?
これが、民主主義である。個人の権利は、その個人が住む国の事業より優先されるのである。物事を建て前通りにすすめるとこのあり様である。
これが、中国だとどうだろうか?早いだろう。ものすごく。

現在、民主主義陣営は、有権者の目を気にしながらの有権者に振り回されての政権運営に苦しんでいるあいだに、民主主義陣営の世界は混迷しつつある。その混乱につけいるかのように、中国、ロシアの民主主義の制限された陣営は経済力、軍事力、影響力でも世界での発言権を強めている。そして、テロ組織の台頭である。世界平和の賞味期限はたかだか70年ぐらいでそろそろ切れ始めているかのようである。

今後はますます、大衆に振り回される自由主義陣営を差し置いて、中国が世界の覇権を握っていくであろう。中国でも、アメリカでも、等しく人口の1%が40%の富を握るという皮肉な結果である。資本主義だろうが、社会主義だろうが、とどのつまりごく少数に富があつまるということである。

では、残りの90%がこの状態を安穏と受け入れているかのように見えるが、果たしてそうであろうか?アメリカンドリームを大衆に見させておけば、現実の貧困を正視せず、いつかアイアンマンのトニースタークや、バットマンのウェイン財閥の御曹司のようになれると、正に夢をみながら一生を送るのである。
テロの集団は、その夢を見ようとしない。現状を力づくで変えてしまおうという事である。そもそも、テロの集団は、資本主義、民主主義という価値を受け入れない。宗教とか神とか、根本とする概念が自由主義陣営とは異なっている。
テロリストはテロリストの独自の夢がある。自分達の価値観で世界を作り上げよう、作り変えようという夢が。
そして、私達にも、いつか、トニースタークやウェイン財閥の御曹司になれるかもしれないという、夢がある。同床異夢とはこの事である。

資本主義と平和の蜜月はもう、過去の物になろうとしている。 世界は、一層不安定になってきた。

富の40%が、1%の人間に集まっておりさらにその傾向は強まっていく中、残りの99%は、どこまでそれを容認できるのだろうか?容認できない最下層の人達から、順に、テロリストへの賛同していくだろう。それは、日本も例外ではない。

インターネットの発達が、皮肉にもテロを効率的に世界に拡散している。 12月4日のニュースでも、10人のシリア人がタイに入ったとの報道があった。
ユーチューブ、ソーシャルネットワークで世界中の不満分子を洗脳し、武器の調達からテロの作戦まで教育してしまう。

スマホ、インターネット、ソーシャルネットワーク・・・便利で、手っ取り早く大金を稼げるテクノロジーが、テロの拡散という代償を払うはめになってしまった。 この代償を、ビルゲイツやジャック・ドーシー、マーク・ザッカーバーグが払う事はないだろう。狭いところでは、ラインのいじめで自殺に追い込まれる子供達の責任を森川 亮が負わないだろう。

タイ・フィリピンとくれば、次は日本だろうか?現に、後藤健二さん、湯川遥菜さんが殺害されてしまった。
テロの標的は、特定の国ではなく民主主義である。個人の権利をなんぴとたりとも制限できることはできないという建て前を根拠として、カネを稼ぐ為には、どんなに社会風紀を乱そうが、構わないという桁はずれの自由さである。この自由さり強欲を、過激なイスラム教、その他の宗教からは敵視されている。

任天堂、ソニーにゲーム機は、世界自由の子供〜大人までを凶暴で好戦的な性質に変えてしまい、怠惰にし、現実離れした異性観を植え付けている。これは、問題ではないのだろうか?

アメリカ大統領選挙戦が始まると、かならずティーパーティー、キリスト教保守系などが取り沙汰される。彼らの活動はなかなか強力で過激だ。イスラム原理主義ほどでないにしても、新自由主義と線を引いている。経済至上、拝金の世相を好ましく思っていない集団はイスラム以外にも多くいる。

実際、民主主義陣営の民衆の増長、欲望の暴走した個人主義の増長を見るに、本当にこれでいいのか?と思うのは、僕だけだろうか?何か、強烈なしっぺ返しがくるような気がする。

この狂気に満ちた、現代で正気を保つのは、容易な事ではない。



2014.06.08
吉日.JUN.2014
ご婚約おめでとうございます。
40歳代会社員の方。


2014.01.28
随以前の事ですが、タイ東北部のある男性に、「王様が崩御されたら、タイの国は困ったことになるよね。」と、問いかけると、意に反して、「良くなるんじゃないか?」と、嘲笑気味に応える人がいた。
その時は、「なんと不敬なヤツだ」と思ったが、今はその理由が良く解る。

愛国党(タクシン派)と民主党(反タクシン派)の構図は、つきつめると、民衆と王室取り巻きの対立である。勘違いしていけないのは、民衆と王様の対立ではないことである。現国王の前の8世アーナンタマヒドン国王は、20歳で夭折されている。銃殺である。タイ国の問題の根深さは、自身の利権の確保の為には有力者の横暴が、国王までをも、手に掛けるという発想を持ち、さらには、それを実行するという事である。

この後を受けた、プーミポン国王の王としての処世は、難しい物である。軍幹部、高級官僚、財界人の有力者に囲まれての、王としての立場である。取り巻きの、言う事を聞かなければ、自身も、8世アーナンダマヒドン国王のような運命をたどるという恐怖があったに違いない。実際、反タクシン派を打ち負かす、クーデターが起こる度に、国王は、新政権を承認してきた。承認せざるを得なかったというのが、正しいであろう。

タイの影の有力者は、国民が国王を尊敬するような、スローガンを絶え間なく打ち国民の尊敬を集め、地方には、国王の写真付きの「セータキット・ポー・ピアン」(足るを知る経済)・・・要は、貧困に耐えなさい、ということであるが、こういうスローガンを流し、国民を貧困に放置してきた。愚民政治にも、ぬかりはなく、義務教育の先生は、真面目に教育(朝、生徒に自習を宣言して、自分は職員室でネット遊び)を行わないし、市内に図書館も無い。現在のタイ国民の、振る舞いの程度の低さは、根深い原因があるのである。民主党は、「国民は愚かで、すぐにタクシン派(インラック氏)の、政策に買収されてしまう。」と言って、選挙結果を拒否するが、愚民政治を敷いたのは、とりもなおさず自分自身である。

(補足であるが、お金のある家庭の両親は、子供を私立の学校へ行かせます。ここにも、格差が生じてしまう。6、7才で人生が決まってしまうのである。)

国王をも操る、影のタイの支配者に、選挙・民主主義の制度を使って正面からぶつかったのが、タクシン氏である。

現在、民主党の要求する、「人民会議」という制度は、選挙では勝利できない自陣に都合の良い制度である。国連は懸念の意見表明を出さないのが不思議である。国王の亡き後、影の有力者は国王を傀儡とすることができなくなる。国王抜きで、自身の存命を図る政治制度である。いうなれば、アリストクラシー(貴族政治)である。現王子は、HIVに罹っておられ、治療を受ける為、海外に出ておられる事が多い。また、女性方面の噂で、国民の尊敬度は低い。国のあちこちに、側室をこしらえ、コンケン県でも、女子大生がお手付きとなった。ウドンタニーも同じである。

タイや中国を見ていると、民主主義とはなんなのだろう?と真剣に考えてします。制度として正しいのだろうか?と。同じ民主主義でも、その国の資質によって、運用のされ方が、まったく違う。日本では、民主主義の弊害が多くみられるようになってきた。民主主義=国民の強固な自我の発達ではない。自由には、義務が伴う。自律の義務である。自由=刑法に罹らない限り何をしても良い。という解釈でもない。

先の、秘密保護法の制定の国民やマスコミの反応は面白かった。知る権利は主張するが、知ろうとすること(読書)はしない。このアンバランスに笑ってしまったし、これが、現在の日本人の程度である。秘密保護法下の日本の国が嫌なら、国籍を変える自由もある。ヨーロッパには、知的レベルの高い民主主義国がたくさんある。街並みは、コンビニも、吉牛も、パチンコ屋もなく、絵本の描かれている街並みそのままの美しさである。便利な商業施設が制限される半面、人々の生活は昔ながらというか、不便である。車の乗り入れができないような街まである。このような、価値観は日本人では、とても受け入れられないだろう。バルカン諸国だったか、東欧だったか忘れたが、紛争時に、市民が人の盾となって図書館を守ったという話を知っている。日本人だったら、見向きもしないだろう。このあたりが、アジア人の限界である。自身にとって便利であることが、最上の価値観なのである。そこに、美意識や普遍性は存在しない。すなわち、自分にとって都合良く、安い、早い、近い、便利、簡単、使い捨て、・・・・である。

現在、自民党の与党で安定的に、政権運営がされているが、それまでの8年間、権利は主張するが、その権利にともなう行為や義務をうけいれない国民に振り回された8年間だった。「ふわっとした民意」とは、良く言ったものである。傑作のコピーであるが、要は「思考停止した民意」である。最近は、「教育委員会は必要か?」のような、二元論を通り越して、「ワンワードコピー」が流行りのようだ。「絆」「チェンジ」「品格」「倍返し」など、軽快に物事を一言で現わすのだが、国民が様々な要素を複合的に理解するのが、困難になっているのではないだろうか?

タイ、日本、中国、韓国・・・しいてはアジアの国民の成熟度の低さは、みっともない限りである。
これらの国から、経済と歴史認識問題を引けば、なにが残るだろうか?世界に何を発信し貢献でき、なにが残せるのか?

国民に、民主主義という、権利を与える事、自由を与える事、その行為の終局になにがあるのか?
その権利を受ける側の国民の資質により、その結果は大きく異なる。

中国は、国民の権利が大きく制限されていて、共産党委員会は国家の運営、方針の変更迅速で、開発による土地の収用は迅速である。従って、国の発展も早い。日本では、地権者の意向で土地の購入ができず、道路工事が寸断されていることが良くある。公共に利益に反する行為でさえ、自由として容認されてしまうのが日本である。このような、愚は民主主義の、悪弊である。

タイも、国の経済という点でみれば、民主党が支配しているほうが、持続的な安価な労働力の提供が可能になるので、国外からの投資も積極的にはいり、成長基調が続く。インラック氏が最低賃金を上げ、コメの買い取り制度を実施すると、選挙票は取れるが、海外投資は逃げていく。民主党の支持者・・財界人、産業界、影の有力者、アリストクラシーを目指す者達にとっては、賃金の上昇は死活問題である。

国が発展すると、一時的に中流層が増大する期間がある。その期間の黎明期は、良いことづくめである。派遣社員でも、半年間、月収30〜40万円で働き、半年間失業保険で15万もらう。の繰り返しを行う人がたくさんいた。そして、海外を放浪したり、アメリカにギターの修行をしにいくようなヤツもいた。オーストラリアにワーキンギホリデーにいくような、呑気な人もいた。当時、僕はまだ、10代後半で、建築職人だった。いまでも鮮明に覚えている。「なんと、横着な生き方をするヤツだろう。」と思った。派遣社員のほうが、正社員より給与が高く、正社員になることが馬鹿らしい風潮があった。

いまは、どうだろう。だれもが、「正社員、正社員」と切望している。一時的に中流層が増大したあと、その中流層は、波に洗われる波打ち際の砂山のように、崩れてゆく。ピザに農薬を入れた、派遣の犯人も、49歳。ちょうど、派遣で、30万円以上の給与がもらえた世代だ。

中流層 黎明期、ギター 衰退期、農薬

万事、発展と衰退は、セットである。人生もそうで、生と死はセットだ。企業も、貸方と借方はセットだ。
宗教的には因果という。やったことには、必ず報いがある。
発展期にあっては、衰退時におきるであろう事を予測して、行動しないといけない。僕が、建設会社を起業した時から、日本の建設業界の歪さは、すでに知っていた。アメリカと比べ、GNP比で、建設会社の数が20倍も多いのである。潤沢な、公共投資のお陰である。どんなに利益があがっても、設備投資はしないでリースで済ませ、資金は留保しておいた。おかげで、アパート経営で生き残る事ができた。

自己の無知と無作為を棚に上げ、ピザの生地に農薬をいれるのは、筋違いというものだ。
民主主義の享受の仕方、自由の解釈を間違えると、大きなしっぺ返しを受けるのである。

であるから、タイの民主化、難しい問題である。




2013.11.22
 お客様の依頼で、SNSを通して個人的に知り合った女性との面会に同行した。当社のサービスには含まれていない業務なのであるが、十分な報酬とタイへの渡航の経費をいただいてこの仕事を請ける事にした。

SNSサービスの発達に伴って、こういう風に個人的に外国女性に知り合われる機会が多くなった事が背景にある。しかし、知り合ったりネット上で交際を続けていても、男女関係というのは、それは始まりでしかなく、デートや結婚とプロセスが進んでいくものであるし、男性はそれが目的である。なかには、ただ単におしゃべりを楽しんでいる人もおられるであろうが、大半は女性と知り合ってセックスしたいとか、結婚を希望しておられる方は、結婚できればと思っている。ネット上では、多少の時間差は問題ではなく、その時間差を用いて、便利な翻訳サービスや電子辞書でコミニュケーションはなんとでもなるが、実際の女性と会う(リアル)となれば、また、違った状況になってくる。 ただ、会うくらいなら、いいかもしれないが、相手女性を結婚相手として目している場合は、どこかで、踏み込んだアクションを起こさないといけない。そして、その具体的な行動を取らなくてはいけない。

今回、その男性の命を受けて、コンケンの北西隣のノーンブアラムプー県とルーイ県の境にあるスワンナクーハー郡まで男性を案内した。お客様と私の二人で、現地に乗り込んだ。タイ人の通訳や運転手は使わない。どんなに難しい話でも、話せる自信がある。タイ人が関わると、話がタイ人の都合の良いように恣意的に曲げられてしまうからである。
  現地に近づけば近づくほど、道が細くなる。
地図にのっていない道を行くので、わからない。道行く人に道を尋ねながら進んだ。同じ内容の質問を複数のタイ人にする。タイ人は、道を知らなくても、教えてくれる。それが、タイ人の親切である。知って教えてくてたのか、知らないのにこちらの要望に応えようという親切心で適当に教えてくれたのか解らない。何人かに、聞く事によって、正確を期する事ができす。
  自宅の近くまで来たのではないか?と思い、女性に直接電話すると、女性の自宅まで、たった50mの地点であった。これを「ペ・ルーイ」という。「ドンピシャ」という意味である。

昔、ヘリコプターの免許を取った時に、身に付けたオリエンテーリングやフライトプランの能力が役に立つ。 タイ方北部を知り尽くした僕でさえも、来たことがないような、奥地に日本人の中年男性が、16歳の女の子に会いに行くのである。よくよく考えると、振り回されている感じがするが、お客様の恋愛感情は真剣だ。僕の、タイに対する造詣の深さやタイ語の能力をかってくださっての、依頼である。

僕の仕事はこの、16歳の女性との、縁談を具体的にまとめるか、終わらせるか、白黒はっきりつけることである。 女性は、16歳まだ高校1年生だ。ネットで知り合って、そのネット上での交際の内容はよくは存じ上げていないが、結婚のお話も出ているようだ。また、すでに、結納金の額や現在在学中の高校をどうするか?また、16歳では、タイの法律では結婚できないので、2年間待って結婚するのか?みたいな、事まで話が進んでいるようであった。

男性は、40歳代後半であるので、年齢差は約30年以上である。僕の経験で、年齢差は25年を越えてくると苦しくなって来る。16歳の女性だったら、41才という事になるが、それは相手の女性に年齢にもよる。実際には、16歳だと、41歳でも厳しいくらいである。一度、ご自身が16歳のとき、どんな子供だったか?思い起こされると良い。前も後もわからない青二才であったはずである。 一律、25年以上開くと難しいわけではない。 たとえば、女性が30歳くらいの、大人の女性であると、30年年上の60歳でも問題ない。この、25年という数字も、相手の女性の考え方や、男性の魅力や財力に大きく影響を受ける。

今回の男性は、髪の毛こそふさふさしているが、中年太り、タイ語はおろか英語も話せないし、服装にもセンスなく外見的には、やや平均より劣る感じである。身だしなみに清潔感が無く、女性がもっとも直感的に受ける、男性としてのアピール、セックスアピールにはかなり乏しい人物である。そうは言っても、当社にタイ国際結婚の仲介を依頼してこられる男性から比べると平均的な水準である。
しかし、人間性にかんして言えば、とても実直で、読書の好きな真面目な人である。

得てしてこういう人は、人間は外見ではないという考えをお持ちである。しかし、自分の身だしなみに関しては、そういうお考えをお持ちであるが、御自身が女性を選ぶときは、若く、可愛い女性を選ぶのである。不思議な事です。相手に外見のよさを求めるような人は、自身も身奇麗にしないといけない。 そして、外見に無頓着で、この年齢まで日本人女性と結婚できなかった日本人男性が、国際結婚をする場合、ともすれば、自分の魅力の表現として金銭的な優位を前面に押し出し勝ちであるが、これば、本人がもっとも嫌う、金でつながった人間関係に陥る。最初から矛盾しているのである。

自身から金銭的な魅力を差し引けば何が残るのか?を、よく勘案しないといけない。確かに、結婚における金銭的な部分は、結婚を就職に例える女性からすれば、給与の問題であるので、大切であるが、それがすべてでは、そのつながりは結婚とは言えない。インターネットで出会いチャンスを探すのもいいが、男性自信の魅力を増す努力も欠かせない。食事のマナーなど、基本の基本である。男女が、お互いに、口という身体の器官を使って食事をしながら、同じ時間を過ごすという行為は、次につながる、身体の器官を使っての行為、すなわちさらなる深い関係やセックスへの、前段の行為でもある。その部分で、マナーがなっていない、スマートではない、食べ方が汚いということになると、女性は幻滅し次の行為への、意欲も殺がれてしまうのである。

  また、日本人はよく言えば、金銭感覚があり、悪く言えばケチである。いくら金を持っていても、女性にしてみれば、使ってもらえなければ意味がないのである。タイでは、日本人はケチで通っている。


  女性の家は、舗装がなされていないような道路が何キロも続く、奥地の村であった。昨今のタイにおいては、未舗装の道路は、少ない。日本の男性と、タイのこんな奥地の女性が繋がるのである。インターネットの時代ならではである。
女性にとって、結婚は男性の就職と同じである。どんな仕事で、給与などの待遇はどうか?を検討するのと同じで、女性は男性の容姿、年齢、所得、気前の良さ、性格、身だしなみ、雰囲気、セックスアピールを見ている。 女性は、16歳なりのおぼこさが残る、ぽっちゃりタイプの女性であった、みるからに、男性経験がなさそうな女性で、実際、口数が少なく、話し方も小声でとつとつと話すタイプであった。タイ女性はどの年代でもそうであるが、親の影響を受ける。
この年齢では、さらにその傾向が強くなる。結婚というより、交渉事のテーブルに付くような物である。 雑談が、8割、結婚の話は2割ペースで話を進めていく。家族の話をしたり、身の上話を聞き出したりして、家族全体の雰囲気をつかんでゆく。 男性と、女性の性格的な相性はどちらもおとなしいタイプで問題なさそうに思えた。しかし、年齢差が相当なものである。 まずは、その辺りから、相手のお母さんと話をする。お母さんはアッケラカンとした明るい性格でなんでも、オープンに話してくれる。こういうタイプは、話がしやすい。
タイ人は、総じてお金に困っている。日本人が、抽象的で将来的な事を考えているのに対して、タイ人は目先のお金のことを考える傾向にある。16歳であるので、2年間待って、結婚となると、結納金がもらえるのは、2年後である。男性は、卒業するまで学費を負担しても良いというような考えでいたらしいが、タイ人はそんな悠長な考えを持ってはいない。
話が進むにつれて、学校を辞めて、結婚しても良いというような話も出てくる。 3時間も話すと、だんだん本音や詳しい話が出てくる。 相手家族の、思い描くイメージの根拠になっている事実として、16歳の女性のお母さんのお姉さんが、イギリス人男性と結婚したときの条件である。 イギリス人男性は、当時51歳。今回の依頼人とほぼ同じ年恰好である。職業は薬剤師、写真を見せてもらったが、ポッチャリ太っていかにも人の良さそうな感じがした。実際、35歳の子持ちの女性と結婚するのであるから、性格もいいと思われる。実際タイ側の家族も「彼は性格がいいと言っていた。」タイ人にとって、「性格がいい。」とは、彼らにとって都合が良い、ということである。奥さんは、35歳で、タイ人男性との間に出来た11歳の娘がいた。結婚の条件は、結納金が200万バーツ(≒600万円)である。その資金で、家を建てたり、田畑を15ライ(1ライは=40m四方)購入し、ピックアップトラックも購入した。

この、家族は女性が多く、16歳の女の子の両親もすでに離婚して、父は再婚している。タイでは、これが、普通である。「女手ばかりの、家族だと、田んぼをするのは、たいへんでしょう?」と水を流すと、「使用人を雇うんだ。」といかにも、自分は地主だ。といわんばかりの、返事だった。「インラック首相の方針で、日雇いの日当もあがり、収支が合わない。」でしょうと、いうと、「趣味でやってるんだ。」と言っていた。その、ご自慢の趣味でやっている、15ライの田んぼを見せてもらった。私は、タイの田んぼなどには、実際には興味はない。
以降の、会話がスムーズにする為の、演技である。

しかし、そんな地主気分を味わい、趣味でやるような、田んぼを買うために、御客様の資金をむざむざと提供するわけにはいかない。

当社で、想定する結納金は、15万バーツ(≒45万円)なので、まったく、勝負にならない額である。しかも、子持ちの三十路の女性にこの条件である。 そして、同じ村に、80歳のシンガポール人男性と20歳対女性のカップルがいるそうである。結納金は、300万バーツ(≒900万円)、婚約の金と田畑と車と家の建設資金は、別払いだそうである。夜の生活の方は、可能らしいが、子供はまだできないそうである。こんな、前例を引き合いに出されての、50歳も近い中年男と、16歳の女性との結婚で、15万バーツでは、なかなか話がまとまらない。しかし、16歳の女性は、白人男性と結婚するよりは、日本人との結婚を望んでいるので、まったく取り付く島が無いというわけでもなさそうだった。 なによりも、女性がすれてなくて誠実な雰囲気をもっている事が、僕もこの縁談が「なんとかまとめる事ができないかな?」と思わせた。

普通は、インターネットで知り合われた、タイ女性は、金目的である場合が多く、初めから疑って掛かるが普通であります。結局、その時は、15万バーツの結納金、婚約の品(コーン・マン=婚約・物)は、2〜3バーツ(≒14万〜20万)となり、結婚の時期は、二人の交際の様子を見て、後日話し合う事になった。場合によっては、高校を辞めて、早期に結婚をするという事も、話し合いの中に入った。

帰途は、大雨の中、街頭も、民家もな真っ暗の中、穴ぼこだらけに道を大変危険な目をしながら、3時間半のドライブをしてコンケンに戻った。コンケン、ウドンタニ間のハイウェイを通行時も、滝のような雨が降り、ワイパーを使っても前が見えず、危険なドライブだ。お客さんの嫁探しも、命賭けの様相を呈して来る。途中、長距離ドライバー向けの、屋台がいくつも、軒を並べている。長距離ドライバーに支持されているせいか町中の店より、おいしい店が多い。そんな店で、夕食を済ませ、コンケンでは、一緒にタイマッサージを受けて、ホテルにお送りした。

翌日、16才の女性お母さんから、電話があった。家族会議をして、その結果の条件の提示である。お母様の言い分は、「おばあさんが結納金は、100万バーツ必要だといっている。しかし、私は、娘と○○さんには結婚してもらいたいと思っているから、50万バーツにしてあげて欲しいと、おばあさんに頼んだ。50万バーツではどうか?それ以下では、私がおばあさんに殺されてしまう。」との事である。このあたり、見事に交渉してくる。

僕は、常々言っているが、日本人以外の国民は、交渉が得意である。得る限り最大限の利益を得ようとしてくる。結婚の諸々の条件を交渉するときも、相手の条件を訳して、説明してあげると、不機嫌になられる御客様が大半だ。日本にはKM(空気が見えない)という、言葉があるが、それは、「交渉」という概念と相反する概念であり、それが染みついているので、不愉快になってしまう。

お母さんからの、電話を受け、 「やはり、来たか。」と思い、その旨、お客様に話した。これで、「終わり」である。お客様は、「50万バーツ用意しようかな。」と、言っておられたが、50万バーツでは済まない。田畑、車、家などと、次々要求される可能性がある。なぜならば、彼らの基準は、200万バーツが基準であるからである。そして、その結婚が長続きするかも、この年齢差では、危うい。タイ人は、うわさ、見知りした事、経験の中で、最大値を求めてくる。
この家族達に、「性格がいい。」と認めてもらうには、600万円の資金が必要ということである。通常、「性格」という言葉は、人柄を表わす言葉であるが、タイ人にとっては、お金を幾ら出したか?という意味である。

実際には、100万バーツの結納金でも破格である。ラッキーとしがいいようがない。しかし、タイ人にとっては、それが、すでに機知の事柄となった時点で、標準なのである。その条件で、結婚できるかどうかは、それは、未来の事なので解らないし可能性はゼロでは無い。その、ゼロでない可能性にかけているかぎり、15万バーツで、50才前の冴えない日本人中年男との結婚など、眼中にないのが本音である。高望みをして、結局 文無しのタイ人と一緒になっても、「あの時、あの日本人と結婚しておけばよかった。」などと思わないだろう。経験を高望みする材料にはできても、反省の糧とすることはできないのである。

お客様には、残念だったが、彼の恋愛は、はっきりとした形で終わった。これで、この女性との叶わぬ恋に残り少ない人生の時間を浪費する必要もないし、自身の本当の価値を知り、新しい恋愛へと進む事ができるのである。実際、国際結婚のお客様でも今回の依頼人でも勘違いをしている人は多い。その勘違いの根の深さは、見えないほどに深い。

商業主義の終わりの無い広告→欲望→消費→貧困→自己喪失という連鎖を断ち切り、生き物としての人間の幸せを手にするには、人生を深い部分から考え直さないといけない。スマホにアプリを入れて喜ぶことが、本当の男の使命ではない。 傍からみていて、結婚がうまく行かない男性の原因はいろいろあるが、男らしさが無い人が多い。「男らしさ」など、抽象的な言葉である。ほぼ、その男性の全体に関する事である。男性としての根源的な事である。性差そのものに関する事である。アニメ、アイドル、コンピューターオタク、フィギュア収集、ゲーム・・・と どれをとっても、男らしさを阻害するものばかりである。自己啓発本と読んでも、その人の人生がほとんど変らないのと同じである。

商業主義の空間を、何の信念、信条、信仰無く生きれば、かくの如しである。男性は、家族(妻、子供)にとって「人生の水先案内人」である。リーダーである。ボーイスカウトやクラブ活動でリーダーシップと取った事のあるような人は、リーダーシップを身につけているし、女性関係も問題ない。実際、そのような男性が、僕のお客さんにいたことが無い。

男女関係において、男性は、憲法、労働組合、生活保護法などの法律、すなわち平等や等しい人権と行った概念に守られていない。女性の、自由闊達で、ある意味、好き勝手な条件提示にさらされるのである。 しかし、多くのお客様はそれらの法律にまもられた緊張感のない態度で国際結婚に臨む。結果は惨憺たるものである。今回の依頼人は、現実を目の当たりにし、目を覚まし、問題点を認識し再出発の機会が与えれたのが、最大の収穫である。しかし、これは、大切なことである。本質的な人生を送る為に大切な事を学んたのである。

商業主義というモンスターの餌になる人生に終止符と打ち、自身がリーダーとなって自身の人生を切り開くのである。

インターネットの発達で、今後、このような個人で知り合った女性との、バーチャルである交際をリアルに置き換える依頼は増えて来ると思われる。

実際、「個人的に知り合って結婚したので、書類だけをやって欲しい。」という依頼も、依然より増えた。この前も、プロのスポーツ選手とタイ女性の書類をさせてもらった。女性は、19歳ですごく美人だった。男性は、46歳。聞けば、結納金も、6万バーツしか渡してないそうだ。大丈夫かな?と思ったか、プロスポーツ選手だけあって、雰囲気が普通の人と全然違う。話を伺った限り、プロになるために彼がしてきた努力も、普通の人の人生の何十倍もしていると感じた。プロ、勝負師としての、においがプンプンする男だ。私が普段、お世話させていただく、男性とは、まったく異質である。こんなにいい男なら、女性も、親の要求も跳ね除けて、個人の決断で結婚をする事もあるだろうなあ。と思った。なんともうらやましい話である。まあ、それでも、すったもんだが無いわけでなく、それなりに僕の方で、フォローをさせていただく機会もあった。もうまもなく、日本に入国の予定である。僕が、「男らしさ」について書いたのも、この男性との接点があったからである。

憲法に、人権の平等がうたわれ、労働者は労働組合に守られ、すべての人は、中流意識を持ち自分の権利と自由を享受している。そこには、生命の危機、生存競争・種の保存の危機感は、感じられない。しかし、いざ結婚ととなれば、話は別である。女性一個人の目による、残酷なまでの取捨選択の選別にされされるのである。男らしさ、所得、外見、長男・次男、健康状態、タイ女性においては、結納金の額、などなど要求は厳しいものである。

その女性の要求も、この平和な時代に自我や自己主張と共に、かなり増長しているのである。東日本大震災の時に、「絆」という言葉が流行し、家族の大事さを再確認し、結婚を真剣に考える風潮も生まれたが、もはやその流れはもう感じられない。実際、婚活となると、また、強固な自我が頭をもたげてくるのである。
著書『銃・病原菌・鉄』で高名な進化生物学者のジャレドダイアモンド氏の記事によると、実も蓋もない現実的な事が書いてある。

ある集団の中で、1番の美男は1番の美女と結婚し、2番目は2番目と結婚し……と続く傾向があるそうです。これは何を意味するかと言えば、もしあなたが下から何番目かの男性ならば、1番の美女は完全に「高嶺の花」だということです。彼女は1番目の男に持って行かれる可能性が高い。
しかし、実際の男女はどうだろうか?男は、いい歳して、とびきり可愛いアイドル歌手、可愛い女性のアダルトビデオばかりみているし、女性は女性で、日本の俳優や芸能人、韓国ドラマのかっこいい男性ばかり見ている。

この嗜好が、自分の結婚相手を探すときに、急にジャレド・ダイヤモンド氏の言うように、急に自分の容姿やステイタスにお似合いの現実的なお相手選びをできるとは思わない。多少は、望みを下げるだろうが、多少ではすまないくらいに、メディアに登場する人と一般人の魅力の差は乖離している。

昔は、村や部落に村長や長老がいて、川上村の「勘吉」君と、川下村の、「おみや」さんが独身のまま残っているとなれば、長老同士が勝手に縁談をまとめてしまい、結婚させていた。本人の意向などあったものではない。それが、田畑の担い手を途切れさせないようにする知恵である。どんな、醜女(しこめ)だろうが、醜男(ぶおとこ)だろうが、結婚できたのである。新田開墾した田畑の存続に、農夫の容姿など関係ない。

現在はどうか? 自我、高い自意識、自由がかえって、人間を不自由にし、社会を衰退させるのである。このパラドクスは面白い事である。ジャレドダイヤモンド氏の言う、文明崩壊とはこの事である。 今回の依頼人の場合、母親が率先して、16歳の娘に、国際間の出会いサイトに登録さ せ、積極的に、さまざまな男性にメッセージを送っていたようである。言わば、傀儡師である。フェースブックの友達のうち、男性の友達の数はお母さんが厳しく統制していた。 依頼人は、相手から積極的に、メッセージを送ってきたといっていた。それを、自分に対する好意と思ったのであろう。

低学歴の農村の人々は売春以外の方法で貧困から抜け出すには、この方法(国際結婚)しかないのである。日本人男性は、先代の築いた繁栄の上に胡坐をかいて危機感乏しく、安穏としている。貧困国の貧困層の人々の富への羨望、上へ上へという手段を問わない、富をつかもうとする手に堕ちないように気をつけないといけない。

文明の崩壊(庶民が過剰な自我を発達させた文明を持つ社会の衰退・劣化)が、ここまできてしまえば、自分の望むような相手と結婚することは容易ではない。ジャレド・ダイヤモンド氏の言うように、自分のレベルにあった相手と結婚すればよいというが、それは、生半可な事ではない。一度、増長してしまった自我を壊す事など、そうそうできることではない。一個人の個性、アイデンティティーそのものだからである。

集めたアニメにフィギアを全部捨て、AKB48のファンを辞め、アダルトビデオを見るのを止め、ゲームとインターネットとスマホを撫でる事を止め、30才代の子持ちの女性と結婚し倹しく暮らす。ということが果たしてできるであろうか?おそらく、修行僧の荒行のような、厳しい喪失感や自己の崩壊を感じるのではないだろうか?おそらく、そんな事をするぐらいなら、独身のままで死んだほうがいいというであろう。糖尿病の患者が、こんな不味い物を食べるくらいなら、おいしい物を食べ続けて死んだ方がいい。というのと同じである。健全な文明、持続する文明社会に、アニメ・アイドル・SNS・インターネット・ゲーム・・・・は必要であろうか?必要でないばかりか、害をなすばかりである。

現在、金が無ければ、結婚も子孫も残す事ができない時代になってしまった。誰のせいというわけではない。われわれを含め拝金主義のなれの果てである。ほとんどの人間が人生のほとんどの労力を金を稼ぐ為に割いているのである。妻を娶り、子供を儲ける前段としての、男を磨く努力は0(ゼロ)に等しい。 われわれのような業者に金をはらったとて、うまく行くとは限らない。一度や二度の失敗で婚活を断念している。人生のほとんどの労力を、金の為に割くのであるから、結婚を成就させるためには、その1割、すなわち、年収が1億の人は、1000万くらい使って、婚活をするくらいの、気概が必要な時代になっている。1000万を業者に払うわけではない。自分の子孫を残す為に妻を迎えるのに、必要な総合的な資金である。

  ペンギンは、小石を積み上げ立派な巣を作るし、フウチョウの一種は、枝でステージをこしらえ、上手なダンスと美声を相当な訓練をしたのち、メスに披露する。カワセミのメスは、オスに獲物の小魚を貢がせ、一番たくさん魚を捕るオスと子孫を残す。同じ動物なのに、人間だけが、ほとんどなにもせず、結婚相談所や結婚業者を頼るのである。

自身のゆがんだ価値観を温存したまま、自分のレベルに合わない、若く可愛い女性との結婚とその女性との間に子孫を作るという至難の業を成し遂げるには、多少の金を失おうが、その要望に沿ってくれる希有な女性に出会うまで、その努力を続ける必要がある。それでも、無縁死や孤独死より、ましなのである。ゆがんだ価値観の上に、結婚生活を載せるということは、軽トラに、10tの砂利を載せるのと同じである。木造2階建ての家屋用の基礎に、コンクリート5階建てを建築するのと同じである。できないことを、しようとすることの、無為さが、当人には解らない。解らないから、この世の中、一人世帯が激増し、無縁死・孤独死が社会問題化するほど、増えているのである。
結婚していったタイ女性から、夫(日本人男性)がゲームばかりしている、自分の趣味ばかりしていると相談を受ける事は多々である。結婚して、妻を養い、子供を育てる行為は、極めて動物的な行為である。したがって、快適な、家電製品に囲まれての生活は一変し、忍耐に次ぐ忍耐の生活になる。韓国と違い、日本は徴兵がない。日本男児の忍耐力・逆境での順応力は世界でも、最低ランクであろう。 その精神のひ弱さが、幼児虐待となって社会問題化している。

それが(自分のゆがんだ価値観を矯正、もしくは孤独死)、嫌なら、年増だろうが、連れ子がいようが同年代の女性と結婚するしかない。 生物にとって、子孫を残す事ができないのは、最大の敗北である。遺伝子が途絶えるのである。人間を除くあらゆる生き物の、唯一の生きる目的は、遺伝子を後世に伝える事である。われわれ、人間のみが、行き過ぎた商業主義に目が眩み、ゲームや芸能人にいれこんだり、ゆがんだ価値観の下に生きている。それも、憲法に規定された、自由・権利といえばそれまでである。自由と、与えられた権利も、上手に使わないと、自分の首を絞めているのである。

一体、どれだけの人がこの出口の無い迷路をぐるぐる回るという人生の無為に気付き、脱出を試みるだろう。あたかも、蝿や蛾が、照明の周りを死ぬまで飛び続けるが如くである。本当の出口は、全然違うところにある。それも大きい出口が開いている。スマートフォンを撫でている限りは、出口に気付く事はないだろう。


2013.09.05
この夏は、大変充実した夏となった。理由は、鼻の手術の結果、本来の健康体がとりもどせ疲れを感じず過ごせた事。「スタンフォードの自分を変える教室」でも、意思決定の際の健康状態、精神の状態、休息が十分取れた状態で行われる意思決定であるか?を取り上げていた。術後より、従前よ質の高い呼吸や睡眠時の呼吸を手に入れられた事により、健康状態は極めて良好になり、それに釣られて、気力、行動力も増した。今後は、より前向きな、攻めの姿勢を持った、意思決定ができると思う。

高金利だった、ノンバンクによるアパートローンを、地方銀行の事業性融資に借り換えをした。最初は、信用組合に案件を持ち込んだのが、断られてしまったが、かえって地方銀行のほうが、話を聞いてくれ融資の話もトントン進んだ。昨今、アパート経営がブームで、信用組合、信用金庫は新規案件が大量に持ち込まれ、処理できないのかもしれない。

しかし、昨日の読売新聞には、「日銀の異次元緩和効果の銀行融資への波及がまだ見えない。国内銀行の預金に対する貸出金の比率(預貸率)は6月に70.4%と四半期ベースで過去最低を更新した。中小企業の取引先が中心の信用金庫は初めて50%を割った。」となっている。カネはあまっているのである。

自身にとって、地方銀行とのお付き合いは初めてである。自身の事業の融資を地方銀行から得られるというのは、建築職人として、一から事業を興した者のとっては、なかなか到達できないステイタスです。政策公庫や住宅ローンとは違う、敷居の高さがある。その分、金利も安く、多額の資金を融通できる。今年で46歳になるが、やっと手にしたステイタスである。起業して20年以上掛った。これが、資本主義社会で自らの人生を変えて行く辛さである。これからが、楽しみになってきました。

この夏は、融資の為の資料作りもしないといけない中、リフォームに忙殺された。そして、夏になると、必ずどこかの部屋からエアコンが壊れたと言ってくる。その為、猛暑の中、エアコン工事。エアコンは、リサイクル店で中古品を買って来る。一機、3万5千円くらいだ。エアコン工事はお手の物だ。冷媒とドレーンの配管して、配線して、真空ポンプで真空引きして、冷媒のバルブを開けるだけである。マニフォールドゲージの扱いには多少コツがある。

それでも、まる1日かかった。2階の壁に付いているからである。室外機は担いで、梯子を上った。このような、場合だと業者に頼むと、高所作業車など持ってきて、工賃だけで10万にはなる。自分で、やって、担いで梯子を登ればタダですむ。
下を行く通行人は、エアコンの室外機を肩に担いで、梯子を上がる僕を見て、目を白黒させて「そこまでやるか?」みたいに見ているが、自分の置かれた状況で、ベストを尽くすのは、生き物に課せられた宿命である。人間は、ともすれば怠けるが、厳に戒めないといけない。

その他、クロスの張替などである。9月には、引っ越しのシーズンである。それまでに、間に合わせて改装を済ませておかないといけない。お盆休みなど無い。真夏のリフォーム工事だったが、これも、鼻の手術のお陰で難無く乗り切れた。リフォーム済みの部屋も、後述する沖縄旅行中に、2部屋とも入居者が決まった。とくに、1室は、リフォームが終わって、5日後に入居が決まった、盆休みを返上した甲斐があった。

御客様との書類のやり取りと、お盆を休めなかった替わりの休暇を兼ねて、沖縄に行ってきました。

薄暗い空に、ピーチの機体が浮かびます。エアバス320-200
真ん中に一本の通路。左右2席づつ。シートの幅はタイ航空の国際線より広く快適だった。シートが薄く作ってあった。

チェックインは自分でする。バーコードを家でプリントする。プリンタが必要ということか。ある女の子がスマホのバーコード画像を、赤外線スキャナーにかざしていたが、スキャナーは全く反応していなかった。スマホはバックライトが発光しているので、あんな事ではだめだろう。赤外線スキャナーとカメラによるバーコード読取機能とは別物である。便利だからと過信すると、チェックインできなくなるのである。

沖縄LCCターミナル内部。
壁面上部は、石膏ボード打ちっぱなしだ。石膏ボードは欠けやすいし、ボードの継ぎ目(パテ塗り代)を綺麗に揃えないといけないので、それなりに職人さんは気を使ったと思う。ボード欠けも多発して、ロスが結構出たと思う。普通は、クロスを上から貼るので、パテ補修ですませられるのに。

そして、巨大なロスナイ。熱交換機能のある換気扇である。室内の冷やされた空気をただ捨てるのでななく、その冷たさのエネルギーを、外から入ってくる熱い空気に移してして給気している。ローテクなエコであるが施設の空調には非常に重要な設備である。。交換効率は、65%と書いてあった。

こういう空間では、通常は別室に設備され目にしない設備を目にする事ができ勉強になる。


沖縄は、実に15年ぶり。飛行機も、LCCを使いました。飛行機代は、ANAやJALと比較すると1/3の値段である。そのかわり、LCC専用のターミナルは、別の場所にあり、アクセスは悪い。初めての人は、30分くらい余裕を見ておかないと、右往左往する。行きは、LCCターミナルがどこにあるかわからず、時間を浪費した。それでも関空のLCCターミナルは綺麗だ。沖縄のそれは、入り口に警備員の立って入場者を監視しているフェンスに囲まれた貨物ヤードに入っていったので、「おいおい、僕は貨物かい?」と。それでも、この安さは、圧倒的で、多くの需要を掘り起こした事は間違いない。その為か?沖縄は9月に掛っているにもかかわらず、ホテルの280室の客室はほぼ満室だった。

沖縄は、この年齢になってから行くと、いろいろ思う事がある。まず、戦中の激戦の悲劇。そして、昭和47年までアメリカであった事。また、風土、気候、文化がまったく異なる。別の国と言っていいくらいだ。琉球石灰岩の露出した地形、風にあおられ傾いた木々など、なんとなくグアムやハワイを思わせる雰囲気である。
そして、空港、ホテルには外国人(台湾、中国、韓国)の人の多いこと。ここは、日本か?と思うほど、外国人が多かった。

御客さまのお話だと、内地から、移住する人も多く、人口は増えているそうだ。御客様に、沖縄の地元の人が行くような、いろいろな飲食店に案内してもらい、沖縄の内面を少しだけ知る事ができました。歴史的にも、現在の日本安全保障の面でも、大変な重要な沖縄についてもっと知りたいと思いました。今度は、戦争史跡なども知りたいと思います。入出国審査が要らない外国のような綺麗な島、LCCで運賃が安くなったので、今後も是非行きたいと思います。

日本一観客が多い、沖縄美ら海水族館

併設の熱帯・亜熱帯都市緑化植物園
となりの、水族館が盛況なのに対して、こちらは閑散としていた。水族館のチケットの半券を持っていると半値で入れるのにである。入館者は比較して、1/100くらいか。(調べてみると、水族館は280万人、植物園は11万人/年だった。約1/25。平成21年)

植物園その物は、湾曲した煉瓦の壁をうまくデザインし回廊のようにしたり、池の畔にあしらったり、ゾーン分けに使ったりととても優れたデザインである。ディティールも良くみると、手のこんだ設計となっている、建築家の心意気が感じられる設計だ。

僕自身とっては、植物は根ざした場所で最大限の生への努力をするという点で重要なメンターでありますので、こんなに素晴らしい植物園に足を運ばないのは、残念至極であります。





2013.7.16
更新をさぼっていると、もう盛夏であります。
あらゆる生き物、昆虫、動物、植物の活動が旺盛になる時期であります。力強く生い茂る植物の活動は、称賛に値します。天台本覚思想と言われている、「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)の考えもなるほどと思います。植物含む全ての生き物が、仏性があり成仏できるとした思想ですが、別段、中国の本覚思想を待たなくても、そういうセンスは古来の日本人にも備わっていた。

植物でも命ある生き物なのである。とすれば、魂や霊魂があってもおかしくない。人間にあって植物にないわけが無い。真夏の植物の隆盛をみていると、ますますそういう感覚になります。そういう、人間の感覚は世界共通だ。タイの僧は、7月から10月まで入安期だ。やたらと出歩いて、隆盛極める動植物の活動を邪魔したり命を奪わない為でもある。外を歩く時は、蟻を踏まないように下をみて注意深くあるく。

つくづく、日本人とタイ人は深い所で、似ているなあと思える部分があります。

遅くなりましたが、ご結婚の御報告です。おめでとうございました。5月に御婚約、7月に御結婚です。

290番、プさん、ご結婚おめでとうございます。新郎様50歳代公務員さん。プさんの親戚は大学の教授や公務員が多く、少々堅苦しい結婚式でした。男性も大変でしたが、よくがんばってくださいました。男性は、長男でいらっしゃるので、今回の結婚で大変喜んでおられました。僕も長男なので、長男の重責を果たす事は、自分のみならず一族の問題です。おめでとうございました。跡継ぎ、世継ぎの問題にも、真摯のお答えしますので、なんなりと御相談ください。


290番のプさん、ご婚約おめでとうございます。長い間、会員さんでいらっしゃいましたが、ついに素晴らしい男性とめぐり会えました。男性は、50歳代の沖縄県の公務員の方です。婚約には、男性の妹様もこられ、御目出度い席がより華やかな物となりました。プさんの実家は、タイシルクの生産者で、優れたデザインのタイシルクを編んだということで、現王妃にプさんの伯父(上の写真の紫の服の男性。新郎様の右隣。)が表彰された写真を見せてもらいました。



私事ですが、この夏前に、鼻の手術をしました。慢性鼻炎だったので、2年に一回ほど、アルゴンプラズマ凝固法で治療をしていたのですが、それでも鼻が詰まるときは詰まるし、鼻水やくしゃみの症状がひどいものでした。寝る時は、鼻づまりで口呼吸していました。
しかし、ほんとうの偶然にインターネットで、通称:サージセンターという耳鼻科の病院があることを知りました。
耳鼻科でサージセンターというのは、全国に数か所しかなく、大阪にも一軒あったので、さっそく受診してきました。

すると、僕の鼻の状況は深刻で、
@粘膜下下鼻甲介骨切除術
A後鼻神経超音波凝固術

Bアルゴン粘膜焼灼術
上の3つの術を一度ですることになりました。上のうち、Bはいままで数回やっていたのですが、@、Aともに初めてで、自分の症状に合っていそうでした。

@は、簡単に言うと鼻にある2つの鼻腔を仕切る軟骨が曲がっていて、空気の流れが遮られているので、曲がっている部分を切り取る術。
Aは、鼻から脳へつながる神経のうち、くしゃみを鼻水の命令系統を切ってしまう術です。
Bは、粘膜をアルゴンでアレルギー反応をする粘膜を焼いてしまい炎症を起こさなくする方法です。

この年になってからの入院(一泊)と手術はつらいものでしたが、結果は文章で説明するのがもどかしいぐらい、劇的に改善しました。このような事を、ここに書いているのは、一人でも多くの慢性鼻炎の人にこの手術を受けて欲しいと思うからです。
手術後の感想として、まず挙げたいのは、くしゃみや鼻づまりの解消はもちろん劇的に改善しましたが、しかしこれはもはや、二義的であり、最も強調したいのは、呼吸が正常になり、体力が改善した事です。

体力が30%ほど改善しました。いままでは身体的に慢性的な酸素供給の不足が生じていたと思います。健常者にとってはあたりまえの、鼻からの呼吸ですが、口から行うそれと違い、細く速い気流によって肺の奥に吸気が満たされます。口からのそれは、気流は太く遅いので肺の上半分しか換気されない感じです。呼吸が効率良くなり、体力のアップにつながりました。この効率の良い呼吸は寝ている間にも行われ、疲労回復にも寄与します。疲れにくくなり、疲れてもすぐに回復します。ですので、年齢的には、5歳くらい若返った感じがします。坂を登ったり、階段を上ったりすると、すぐにふくらはぎや足に疲労感を感じていたのが、いままでの倍くらいの距離上らないと、同じような疲労感を感じないようになりました。

これを、読まれた方で、周囲に慢性鼻炎の方がおられたら、是非、サージセンターでの手術を勧めてあがてください。東京にもあります。
まるで、生まれ変わった様でもあるし、まるで、別人の様であるといっても、全く過言ではないほどに、呼吸とそれにまつわる、疲労回復や気力や体力が改善しました。
また、ハーフマラソンでも走ってみたいなあ!という気力が湧いています。
仕事も、バリバリこなせるし、遊んでも、飲んでも、疲れが残りません。
逆にいままで、極めて悪い条件下で生きてきたという事でもあります。

この手術をもっと、早くに、たとえば・・学生中からと思いますが、人間は過去や未来に生きる事はできないので、過去の事を悔やむ必要はない。今後の人生を精一杯生きるだけである。

この、素晴らしい手術との出会いは、インターネットのお陰であります。慢性鼻炎の方、絶対にこの手術を受けてください。この、手術をしてくださった院長の岩野先生、そして、岸本先生、泉川先生、麻酔の岡本先生、そのほか看護師の方達にお礼を述べたいと思います。大変ありがとうございました。





2013.4.4

暖かくなりました。春は何回訪れてもいい物です。春を迎えるという無上の経験があと、余命の年の数だけしか、迎えられないとすると、毎年毎年の春を意義深い物にしなければと思います。1年の季節の中で、もっとも一個の生命体としてその生を感じる時期であるからです。

冬が無ければ春もなく、春の到来の喜びの為には冬の寒さや厳しさは必要である。これは何事にも通じる事であります。最近は都市に住んだり、空調設備の効いた建物に住んでいると、この自然から享受するという感覚も薄れてきているのかもしれません。
今年は春の到来が特に楽しみであったのは、例年になく庭樹の剪定をしっかり行ったからです。葉や花のない冬の間に、花や葉ある様子を想像しながら剪定をするのは、なかなか知的興奮を伴う作業です。写真の梅の木は、ホームセンターで苗で買ってきて、10年ほど経った木です。梅の木は剪定が欠かせない木です。しだれる枝を3条に下ろし、枝のあるところ無いところと粗密をはっきりさせた枝ぶりとなりました。

こういう楽しみは、人間の本来的な物であると思いますが、宣伝広告の媒体としてのテレビやインターネットなどの情報過多の時代に生きているとそういう物に目を奪われてしまい根源的な物を見失う。

「出家とその弟子」という本で、若干26歳の倉田百三氏によるその天才的な内容もさることながら、戯曲というスタイルが新鮮で最近は、戯曲を買ってきては読むことが多くなった。
「ウィリアム・サローヤン戯曲集」はネットで古本屋の出品を購入した。長野県は松本市からの発送であった。雪深い松本市で「ウィリアム・サロイヤン」の戯曲を読んでいた人がいたのか?と想像するだけで楽しい。
「君が人生の時」 The Time of Your Life の中で、第4幕のアラブ人の台詞に「基本がまったくなっていない。」というのがありました。このセリフには大いに気に入り、その事について考えてみると、
「ほとんどの人がほとんどの事についてほとんど基本がなっていない。」という事が見えてきます。

決して長くは無い人生、自分の人生においても、「ほとんどの事についてほとんど基本がなっていない。」という現実と対面するに、残りの人生の重要さが解るというものです。


2012.12.29
まもなく、2012年も終わりだ。年齢を重ねると、1年が短く感じるのには、ちゃんとした理由がある。40年生きてきた人にとって、1年は、いままでの人生の40分の1の時間であり、50年生きた人にとっては、50分の1、60年生きるとと、60分の1である。科学的、絶対的、知識としては、1年は1年だが、それを感じている生身の人間とっては、自分の時間軸でしか測れないので、短く感じるのである。逆に、子供にとっては、1年の長さは、とても長いものである。楽しい、夏休みの長さは、子供の時の事を少し思いだしていただければわかるのではないでしょうか?

子供の時は、午前と午後も、いまの感覚では1日分にそうとうするくらい、長く感じられたような気がします。

ともあれ、だんだん短くなる1年が終わる。

オリンピックがあったり、アメリカや日本でも選挙があったりといろいろな事がありました。選挙の結果も周知の通りでありますが、衆愚に振り回される政治と日本国がみじめに感じられてなりません。選挙前の新聞には、政治団体の主張が実現可能か?良く吟味するようにとの記事があった。
2012年に行われる選挙前の大新聞の記事がこれである。ここに、日本の民主主義の質の低さ極まれりである。

選挙の度に、有権者の投票行動がスイングするのは、衆愚の特徴である。国民の知的水準が高いと、政治や国の政策が必ずしも国民の短期利益と一致しないことが理解できるので、多少の不利益は受忍するだろうが、いまや民主主義国家のどの国も、個人が快楽・快適を追い求める事が民主主義であるかのよう風潮になっているので、政権選択も一個人にとって利益があるかないか?のレベルにとどまっている。民主主義とは本来、個人が国家の利益を鑑みる事なく個人の利益を追求する為の制度ではない。専制から解放されたスタイルであり、そのありようは多種多様であり現行制度はその一部にすぎないのである。戦後60年、専制政治の苦労に想像力を馳せることも無く、個人の主張が強くなるにつれて、その制度も綻びが出始めているようだ。
お隣、中国は「尖閣」のカレンダーが良く売れるそうだ。

矢野 暢という人は1999年没の故人であるが、右のような本を1989年に書いておられる。4半世紀も前の事である。東南アジア研究の一人者でもあり、その関係でこの本を知ったが、切れ味鋭い観察であると思います。

しかし、どんなに知識人が警告を発しても、この流れは行きつく所に行くまでとまらない。それは紛争なのか?戦争なのか?それが衆愚の衆愚たる所以である。

今年1年の、出来事で書いておきたいのは、イタリアの作家「アントニオ・タブッキ」氏がお亡くなりになられた事である。タブッキの名前はご存じなくても、「インド夜想曲」という映画や小説の題名を御存じの方は多いのではないでしょうか?

小説を良く読み映画を合わせて見てみると、僕ごときの想像力ではイメージできなかった、世界が具体的になってくる。タブッキはインドの旅行を通して、うらぶれた公立病院の様子や神智教会の宣教師のペソアの詩人の知識の細かな描写と自身の精神世界を織り交ぜ至高の創作となっている。このような文学に触れられるというのも、まことに幸せな事である。

アントニオ・タブッキ (1943年生、イタリア ピサ生まれ。本年3月25日没)










2012.10.18
時間の過ぎ去っていくのが異様に早くかんじます。今年も、田植えをしていたかと思うと、もう稲刈りが終わってしまった。近くの稲刈り後の田んぼで息子につきあって、凧上げをしているとカラスが飛来してなにやら食べている。良く見ると、落ち穂がおちている。落ち穂というのは結構おちているものだ。機械で刈るものだから、場所によってはまったく落ちていないし落ちているところにはたくさん落ちている。最近のお百姓さんは落ち穂拾いをしない。落ち穂は機械化による効率化によるロスでしかない。カラスのほかにも、キジが食べにきていた。

二人で、落ち穂を拾っているうちに、かなりの量になった。このお米、罰が当たるので、捨てるわけにもいかないので、食べる事にしたいが、どうしていいものかわからない。とりあえずお米を茎からはずし、脱穀しないといけない。まず、茎からはずすのは、最初は手でやっていたが、櫛が効率よかった。脱穀は、ネットでしらべると、ごますり器を使うようだ。幸い、アパートの退去者が板前さんで、おおきなごますり器(直径41cm)を要らないと言ったので、勿体無いともらっておいたのが、幸いした。もらった時は、「断舎離の時代に反しているな。」と後悔していたが。

ネットでは、軟球でこするとかいてあるが、軟球など無い。しかたないので、ケーキの生地をのばす、のし棒でゴリゴリやってみた。すると、本当に脱穀できる。つよくやると、お米が折れてしまうので、そのあたり軟球という事なんでしょう。しかし、ちょっとのお米を脱穀するために、わざわざ軟球を買うのも無駄なので、そのまま、のし棒でやった。最初は、この作業はかなりの時間を使うなと思ったが、要領をえてくると、結構効率良くできるようになった。モミは、吹いて飛ばしていたが、続けざまにやるとめまいがするので、ドライヤーの送風やうちわでするようにした。こうやって自分で体験的にでも食糧供給の過程を自力でやってみると、お米の尊さが身をもって感じられる。森羅万象すべての生き物は植物からの恩恵にあずかっている。そう思って、お米の穂をみると、ものすごく尊いものに感じられる。

植物からは、多くの人生の教訓を得る事ができます。植物は置かれた環境で出来るだけの生命力を発揮し、命を次につなごうとします。人間のように怠慢、妬みはなく、その生きざまは清廉としうしかありません。また、自らには物を見る能力が無いにもかかわらず、美しい景観を創りだしたり花を咲かせます。また、口が無いので、要求や不満不平を言う事もありません。人間の世話が至らずに枯死するときも、ただ枯れるだけです。
植物も立派な生き物ですが、命という言葉はあまりつかわない。しかし、どう考えても、ひとつの生き物である。
大木ともなれば神格化され、しめ縄や祠が祀られ信仰の対象ともなりえます。このあたり、植物の生きざまに対する尊敬ではないでしょうか?大木に祠を祭るのは、タイにもある習慣で、日本人とタイ人は信仰や死生観など根本的な部分では似ている部分が多いと感じます。

そういうわけで、僕は植物の命をなるべく大切にするようにしているのですが、息子が大量に拾ってくる「ドングリ」には、毎年対処にこまっています。どんぐりも、植えれば立派な木になる「生き物」ですから、捨てることはできない。そんな事をすると、平素、植物の精霊からもらっている運気がなくなってしまう。今年の春は、300個以上拾ってきたドングリを植える事になった。猫缶の空き缶や、園芸用のポットと園芸用土を購入して全部植えた。冬には、缶やポットごと、地中にいれて霜にやられないようにした。












すべて、どんぐりの苗。クヌギ、コナラ、カシなどです。こんなに多くの勢いよく成長する苗木をみていると、こっちまで清々しい気持ちになります。 左は、コナラ、右は樫の木の苗。
左は、最初、穴をあけた猫缶に植え、根が下からでてきたので、ポットに乗せ2段になっています。木が大きくなるころには、猫缶も錆びて朽ちてくれるでしょう。このように、広葉樹と常緑樹は成長のスピードが格段に違います。しかし、成長の遅い常緑樹は落葉することなく、晩秋や初春でもゆっくり成長します。


これらのどんぐりの世話も、お米の脱穀のと同じで、観察しているとなかなか楽しいものであります。新緑のあざやかさ、落葉広葉樹と常緑樹の成長の早さの違い、オトシブミという虫の営みなどでです。これらを書いていると、また長くなってしまう。とにもかくにも、植物の生き様は清廉である。末期病棟の屋上の目地に懸命にいきる雑草を見て感動し、涙する余命いくばくもない患者さんの話しを何かの本で読んだことがあります。余命いくばくにもならないまでにも、元気なうちから我々の家電製品を使って遊ぶだけでなしに、我々の命を育んでくれる植物にもっと親しんでいると、また、違った人生の味わい方があります。


2012.09.20
ご結婚おめでとうございます。

大学の学生さんが結婚されることは稀です。学位を得て、社会で良い仕事に就こうというその途上におられる大学生はあまり結婚など考えないのが普通かもしれません。しかし、タイでは大学卒業した者の最低賃金が設定されており、企業は大卒の採用を敬遠します。実際の所は、大学出ても皆が高給を取れる仕事には就けないのが現状です。仕事に就けないよりはましと、学歴を高卒と偽り、安い賃金で働く人もおられます。こういう背景を考えると、大学生であっても日本人と結婚するのは正解だと思います。そういう意味でも、ポーイさんは相当に賢かったのです。

ご結婚おめでとうございます。ポーイさんは国立大学在学中の学生さんでしたが、 縁あって欧州の会社に勤務されるエンジニアの男性と結婚されました。男性はもちろん優秀ですが、奥さんもモデルのような170cmの身長とお顔やその小ささ、また頭も大変良くジュニアが楽しみです。男性より、女性の身長が高い、もしくは同じくらいのカップルというのは、欧米では羨望の的です。婚約と結婚式を同一行程でされる方式で結婚されました。披露宴では多数の大学の先生から「優秀な生徒だった。」と祝辞をもらっておられました。

隣の美しい女性は新婦のお姉様です。

 



2012.06.29
ご結婚おめでとうございます。
僕は、日本での建築の仕事やアパート経営などしながらこのお仕事もさせていただいておりますので、日本をタイは頻繁に往復しないといけないのですが、今回は、プラーさんの夫となられる男性が、先に結婚式の決まっていた197番の女性の結婚式と同じ日取りに結婚式を設定していただき、僕も一回の訪タイで2組の結婚式をさせていただきました。ご協力大変ありがたいです。
タイ女性 結婚式

ご結婚おめでとうございます。比較的人気の高かいにもかかわらずなかなか縁のなかったプラーさんですが、システムエンジニアの男性とご結婚です。おめでとうございます。プラーさんはとても積極的な性格女性なので、男性とうまく協力してよい家庭が作れると思います。

 

タイ女性 結婚式
トゥムさんご結婚おめでとうございます。お二人とも、スタイルの良いカップルです。メーホーソンの新婚旅行は、LCC(ノック・エアー)の決行・遅延など、日本とは違う低いサービスの質の洗礼を受けられてしまいましたが、メーホーソンは良いところだったそうです。幸いにも、国際線の便には、間に合われよかったと思います。僕が見てもかなりリスクのあるメーホーソンという新婚旅行先でしたが、奥さんがよく夫を支援してあげたことだろうと思います。

新婚旅行を、トラブルがあってもスムーズに貫徹するには、プーケットなどの、多くの便の乗り入れいる場所にするのが無難です。この、数日前には、台風で日本の空港が閉鎖され、国際腺が欠航しタイ航空会社はなんのアコモデーション(宿泊)の保障などしなかったと、僕と同じ便に乗り合わせたミャンマーの方がおっしゃておられました。いずれにしましても、飛行機という手段は、リスクの潜在する交通機関であることには変わりないですね。
日本のLCCの先駆であるスカイマークが乗客からの苦情は受け付けないという方針で一時、話題になりましたが、海外に行かれる方、外国人の嫁さんをもらいたいと思われている方ならば、多少の問題は苦情を言うことに執心していないで、代替手段をすばやく探し出し、ダメージを最小限に抑える危機管理能力を使うほうが良いと思います。そうでなくても、便の欠航が決まると欧米人旅行者のよその旅行会社のカウンターへのダッシュの早さを、僕はプーケットで何度もみています。僕もお客様と一緒の時はとくに、便の欠航情報の早期の獲得には注意を払います。コンケンへの便はタイ航空1社乗り入れのみえ代替の便などないのですが、それでも、隣の県のウドンタニ空港などに回避する事ができます。

昨今の日本人は営利企業が競ってこれ以上ないとういくらいに高めた質のサービスを受けることに慣れきっていますから、なにかあると、危機管理より、サービスを提供した企業に苦情をいう事に執心しますが、
対価を支払わないでする女性との交際、結婚・家庭のこと、人生のことなど高い割合で、所作とその結果が自身に帰結する事柄には大変苦手なようであります。
育児の内容とその質、夫婦で人生を歩む事、家族を守ることは、完全に個人に帰属した事柄で、サービスを受けてすることではない個人の事柄ですから、そういう部分の作為は多いに遅れ、独身の男女が非常に多くなっている世相であります。

企業のサービスを受け、快適さを追い求める事は自分の遺伝子の保存、子孫繁栄をという、生き物の最重要使命さえも見えなくなってしまうリスクがあるのです。
でありますから、自分の生活においては、どこか自分の意思でその悪循環を止め、自ら、不便だが人間らしい人生を送る方向に舵を切らないといけない。でないと、対価を払ってする企業サービスに提供されていない事はできない・・・という人生になってしまう。
◆マイケル・サンデル氏は「それをお金で買いますか?」という本を書いておられる。


2012.05.08
ご婚約おめでとうございます。お二方の男性とも遠方の方でしたが、お見合いより前もって、日本で面談をさせていただき、いろいろ話をさせていただきました。結婚に対する考え方や将来の要望などを聞かせていただく事により理解が進み、女性の御紹介もスムーズにはこびました。

お客様のご希望により、写真掲載はしておりません。

297番のトゥムさん、ご婚約おめでとうございます。お相手、40歳台の自動車ディーラーにお勤めのゴルフの上手な長身の男性です。トゥムさんも背が高く、スタイルが良いので、お似合いのカップルとなりました。

 

249番のプラーさん、ごご婚約おめでとうございます。お相手の男性は、40歳台の製図の仕事をされておられる男性です。プラーさんは良い女性でしたが、なかなか縁が無かったのですが、この度、穏やかな性格の良い男性と縁があって良かったです。プラーさんも自分の性格と会うと思ったのか、「紳士(スパープ・ブルー)だ。上品(スパープ)だ。」と大変なお気に入りです。



2010.05.07
アメリカ大統領の予備選挙はロムニー氏が勝利した。民主主義制度の疲弊が、各国でみられるが、アメリカはどうなのだろうと、興味深く新聞の記事をよむだけだが、成り行き見ていた。フランスの大統領選挙は、オランド氏が勝った。緊縮財政への民意はNOだということだ。逆にいえば、国家の財政が悪化、将来的には破綻しようが、ツケを未来に先送りしようが、たった今の豊かさを追い求めるというのが民意である。民意=正義ではない。正義でも正当でもなく、民意には長期的な思考や欲望のコントロールが出来ない大多数の人間の欲望にうらがえしでしかない一面がある。日本の国でも、その傾向は顕著だ。財政健全化への方策、企業や個人の利便と安全を両立させた原子力発電の今後の方策も、民意に翻弄され右往左往しているようだ。

さて、この民意という言葉だが、アメリカの大統領予備選挙の記事をみていると、様々な信条・思想で分けられた票のまとまり、集団がある。キリスト教保守派、キリスト教福音派、キリスト教右派、そして、人工妊娠中絶反対する保守派などたくさんの集団の呼び名がでてくるが、その中でとりわけ違和感を感じるのが、「低学歴の労働者」という言葉である。読売新聞は、この言葉を自国(日本)の国民を呼ぶ時は一切使わないが、アメリカなど外国である場合は多用する。どこの国にも、低学歴の労働者は数の上で多くの割合で存在する。読売新聞社としては、購読者に配慮しているのだろうか?事実を読者に伝える事を生業としている新聞社でさえ、この通りである。この、国民の比率からして、多数を占める低学歴の労働者層におもねる政治をポピュリズムなどと呼んでいる。その読売新聞社の今年の元旦の社説の副題が、「ポピュリズムと決別せよ。」である。リーダーの不足、個人と全体のジレンマ・・・・などなど、皆さん言葉の使い方のうまい評論家や編集委員や記者や作家や学者が言っているが、結局は、国民は愚かだということである。

実際、「説明責任・説明責任」と大衆は喧しい。私生活の中では、まったく勉強や自身への投資としての教養を積み上げる努力をしていない人達が、説明をしてもらって、いったいなにが理解できるのか?それに、これだけ情報化の社会、情報は氾濫し、皆の手には便利な情報端末がある。説明してもらわなくても、皆が、もうすでに解っているような簡単な時事問題ばかりだ。環太平洋経済連携協定(TPP)、消費税、原発、どれもこれも答えは出ている。結局は、痛みを伴う、政策・改革は受け入れたくないというのが本音のくせに、「説明せよ。説明せよ。」の一点張りである。この、国民の無知さとこのプライドの高さが、昨今の我が国の混乱の原因である。


僕はこの欄で何年も前から個人と公共の利益のバランスを考える事ができない民衆の割合が増加した場合の民主主義の制度の問題を書いてきた。どのような場合においても、打ち消す事ができない個人主義という価値が国家の存続を危うくしているのである。
なにも、僕は自分に時代の先を読むセンスがあるとは言わないが、昨今の新聞の記事は、同じような事ばかり書いている。
●22年、マレーシアの首相を務めたマハティール氏は、「国民は性急に結果を求めすぎる。とくに、後発の民主主義国家にその傾向が強く、投票は政権を倒す為だけのものと考える有権者が多い。我々が手本とした日本は先端技術など産業面では国際競争力を持つが政治の混迷は長い。」
と、述べておられる。当然、日本はヨーロッパではないので、後発の民主主義国家である。
●東大教授の山内昌之教授は、「明治はなぜ立派な指導者がでたのか?と良くきかれる。1つには、政治家や官僚の高い使命感とそれを尊敬する風土があったからだ。フランスや米国は今もエリートの存在を是とする社会だが、日本は戦後改革で「平等重視」が過剰となり、エリートの存在は迷惑だという考え方が培われた。」
●読売新聞の大塚隆一編集委員さんは、民主主義のジレンマと題うって、「民主化やグローバル化は繁栄や安定に直結するとは限らない。民主主義はポピュリズムに陥る恐れもある。」
としている。
●ジャック・アタリ元欧州復興開発銀行総裁は、「日本の首相には時間が無い。指導力は発揮されず、日本は未来を台無しにしている。この悲劇をどうしたら、克服できるのか?私見では、戦後の日本は戦争がトラウマになり、強権を恐れるあまり議会に過度の権限を与えた。米国も、日本が弱い政府を持つ事を持つように望んだ。日本が指導力を発揮できないのは、制度に起因するようにみえる。」と、言っておられる。政府が、愚かな国民の民意に翻弄され、何も決まらないのは、外国にとっては返って都合がよいのである。そしてこのあと、アタリ氏はマルクスと
シェークスピアをを引きあいにだし、大局観をもって事にあたり、指導者にとって最悪の選択肢は大衆迎合であると言っている。とは、言っても、ジャック氏おひざ元の、フランスでさえ、サルコジ氏が敗北してしまった。現実的な指導者が大衆迎合をしないでいると、大衆迎合を公約にした、候補者に負けてしまうのである。こうなれば、打つ手がない。国民が愚かでかつ民主主義制度である以上、ここに限界があるのであるたくさん食べると、メタボになるのがわかっていても食べる。倹約しないといけないのはわかっていても、浪費してしまう。勉強しないといけないのがわかっていてもしない。これらの、人間の欲、意思の弱ささえも、民意には含まれており、それが政治・国家を危うくするのである。民主主義の致命的で人間の本性に根ざした根源的な問題である。
●文明崩壊の警告を出し続ける、地理・歴史学者のジャレド・ダイアモンド氏は、「一度にたくさんの人が死亡する事故、人間の力でコントロールできないと感じる事故について、人々はリスクを過大評価がちです。
日本を襲った地震と津波は確かに大惨事でしたが、長期的にはずっと多くの人が、交通事故 、たばこ、お酒、塩分の取り過ぎが原因で死亡しています。原発事故もまた、リスクが過大評価されがちな事故の典型例です。原子力の抱える問題は、石油や石炭を使い続けることで、起きる問題に比べれば、小さいと考える。」と、文明の存亡の危機として、この問題をとらえているが、我が国では、政争の具でしかないのである。その、不毛な議論の間にも、企業は次々を外国を目指すのである。不毛な議論の原因になっている、われら愚かな民衆が「安全に暮らす権利」などと称して、ことさら声高に声を上げ続ける事が、企業の流出および、所得の低下という形で、跳ね返っていることを知るまでにはまだ、相当な時間がかかりそうだ。

大橋英志・宮台真司両教授らによる、「愚民社会」という本が、出版されているようだが、ちょっと読んでみようと思っている。

国・社会・そしてその構成員である国民の資質がここまでに落ちてしまうと、個々の人は自分で自分をその未来を防衛しないといけない。先日、お見合いされた方は、シンガポール在住の方で、シンガポールの日系企業に働く30歳台後半の男性だった。スポーツマンで、アメリカ公認会計士(CPA)やアメリカ経営修士(MBA)を持つ方だったが、その方の能力の高さは並み大抵ではなかった。英語の能力にせよ、世界で通用する資格にせよここまで武装してあれば、世界のどこにいても、仕事ができ高給を取ることができる。しかし、その彼も、その資格は在学中に得たものではなく、働きながら勉強をされたそうだ。とくに、海外進出したい、拡張したい、海外市場の開拓をしたい会社にとっては、喉から出がでるような人材であろうと思われる人であった。
もっと多くの日本人の方が、この人のようにがんばって欲しいと思う。その彼から聞いたのですが、シンガポールは、政府が強く国民は厳しい法律によって、規制されているそうである。金持ちや知識人は優遇される一方、肉体労働者などは冷遇され、海外からの労働者は子供を作る事を禁止されているそうである。シンガポールはガムもダメだそうである。たしかにガムの処理はきちんとしないと、道路にへばりついたり、バスの座席の下にはりつけてあったり、迷惑な事が多い。生活保護制度で厚遇する日本とはずいぶんと違うようだ。お隣中国から、生活保護目的で入国する方もいるぐらいだから、そのような低レベルの人材を海外から呼び寄せるような制度は早く改め、シンガポールのように海外から優秀な人材・企業が集まるような政策のある国にしてもらいたい。外国人看護婦の問題も、厚生労働省はいつまで日本がエル・ドラードと勘違いしているのか?少子化で、海外から人が入ってきてもらわないと、どうにもならなくなっているというのに。日本国民が、近視眼的な思考と支持率という民意で政党や議会を振り回し、もたついているあいだに、一部民主主義を制限したような国が、自由闊達な政府活動により、繁栄をしているように見えるのは外から見る者からの妬みだろうか?

僕の見立てでは、過剰な民衆主義で、民主主義国が政策決定ができず痛みをともなう改革を先延ばししたりする国の財政が悪化しつづけたり、未来の為の合理的な緊縮財政をしいている国の政権が倒れたりしているのを、脇目に見ながら今後、発展し続けるのは、民主主義国家でありながら、民主主義が一部、制限されたようなシンガポールのような国か、社会主義から除徐に資本主義を導入しているような国ではないかと思う。

事実、ギリシャでは極右が議席を確保できそうということで、これを見てもますます民主主義が末期症状を呈してる事が分かると言うものです。民主主義の綻びは、私達個々の人間の欲望の追求と義務の放棄の集合体のもたらす結果である。個々の人間が思考が停止している事を認め、賢くなれば、解決できる問題であるが、いまのところ日本はいまだ政府や政治が悪いとおもっている人がほとんどである。

私達の人生は、残るところ数十年で、このままどうにかこうにか、(若い人のパイを奪いながら)死期を迎える事ができそうだが、私達の子の世代は、どうにかこうにかという訳いにはいかない。この国であと、80年生きる者の身になって、親としてしっかり道筋をつけてあげないといけない。

思うに任せていつもいろいろ書いているが、結婚は人生の通過点に過ぎない。その後にもずいぶん長い時間があるし育児など責任重大なイベントが残っている。その時間は、独身のそれとは違う中身の濃いものになる。独身と同じ気分や未熟な価値観ではとてもじゃないがいられない。長い間、独身でいる人は、結婚後の人生がどんな物であるか、どいういう物にしていくかを、イメージ出来ていない人が多い。点にすぎない結婚の部分で止まってしまっているのである。点ではなく、線でイメージしてゆけるように、変わらないと後半の人生はもとより、子供達の未来も決して明るくはない。

日本という国が迷走するなか、個人も同じように迷走しても仕方が無い。国は責任はとってくれない。せいぜい生活保護をしてくれるくらいだ。企業がどんどん海外に出て行くのは、皆さん周知の事である。しかし、企業にとって住みにくい国とうのは、個人にとっても住みにくいのである。個人も企業と同じくらいの危機感をもって行動するべきだと思う。

イチロー選手が、たしか、こんな事をいっていたような気がするのだが、「3割打とうと思って練習していて、3割は打てない。5割打とうと思って練習するから、3割うてる。」みたいな事ですが、結婚もそうで結婚で終わりではなく、その後の自身はもちろん、子供の世代までどうしたいか、考えて結婚しないといけないと思います。実際、中国人の発想はそんな感じです。タイ人だって、困窮すれば台湾やカタールやブルネイといった国に出稼ぎにいきます。日本人は、失業すると、炊き出しや生活保護くらいしか、イメージができないようである。

4月30日の「アエラ」に、中学受験撤退の話がでていたが、日本の国が将来見通しが暗いからといって熾烈な熟通いの生活、中学受験競争に親子で巻き込まれる悲劇の記事があった。頭の良い人の割合というのは三角形のような分布になっていて、上は少なく下は多くなるようになっている。それが、現実である。であるのに、頭がたいして良くないのに、中学受験戦争に入り込むのは、子供にとって可哀想で、まつ毛がなくなったり、ゆびの爪がなくなったりして、深刻な精神の疾患や健康被害をうけるし、親は毎月20万もかかる予備校の学費の捻出のために、家計が破綻してしまうのである。僕も頭が良くない方で、結果を出すのに普通の人より、多くの努力を必要とする。おそらく、僕の息子も、大した事がないと思うので、ゆめゆめ受験戦争にはかかわらないつもりである。

小さくなる一方のパイを食べる事に執心しないで、海外に目を向けるべきである。海外には必ずどこかに大きくなっていくパイがある。しかし、それを食べるには、外国語を習得しないといけない。それも、2カ国語ではどうにもならない。私達の子供の世代は4カ国語、5カ国語ぐらいが必要である。中国語、インドか南米かアフリカの言葉、英語、それにCPAとMBAがあれば、世界のどこかに必ずある大きくなっているパイが食べれそうだ。ジムロジャースがずっと前から言っていたことだ。日本人は本当に外国語の習得が苦手だ。母音が少ないから、仕方がないといえば仕方がないが、日本を含む、資本主義陣営の国家の様々な綻びは大きくなるばかりだし、そのしわ寄せは、結局は国民にくるのであるから、個人はどうにかして(外国語を習得して)自分を守るしかないのである。 個人に大きな資本があれば良いが、無い人は、勉強するしかないのである。勉強ほど費用対効果の高い投資はないのである。




2012.1.20
なにか書こうと思っていたら、年があけてしまい、睦月も下旬になってしまった。古い話しでもうしわけないが、紅白歌合戦で子供の歌手がエントリーしていたのではないでしょうか?家ではテレビが見れない(確信地デジ難民)ので、見てはいないですが、その事につき、テレビ文化がますます幼稚になってきているように思える。タイでは、子供を夜に働かせる事を禁止する法律がないのか、子供の芸能人がたくさんいてテレビでの露出はかなりの頻度である。たとえ上手でも甲高い歌声は、しばしば耳障りだ。また、大人の司会者が子供相手に丁寧でかつオーバーなリアクションで子供の芸能人とのやり取りをみていると、ただでさえ親が子供を甘やかせて、その弊害を国際結婚の業務を通して受けているので、ますます不愉快になってくる。

テレビなど大衆向けの娯楽番組というのは、当たり前であるが、大衆向けである。その大衆の好みというのは、時とともにばかばかしく幼稚になっていくのが相場である。そういう意味で、日本の芸能界にも子供の比率が増えてくるだろう。国民の資質の低下は、戦争・革命など転変地変などで不可避の決定的なダメージを国民が受けるまで続く。大衆は、自ら学ぶ事を放棄しているからである。NHKほか民報が罪深いのは、年末になると決まって忠臣蔵の番組をやることである。武士道の精神、日本人の気質などとっくに失われているのに、あたかも現在の日本人にはそれが、未だに備わっているかのような錯覚をおこさせるような番組になっていることである。番組の最中に、「この番組は、江戸時代の武士の話しであり、現代の日本人は私利私欲にまみれ武士道精神に片鱗も残っていない事は、残念な事である。」などとテロップを流してほしいものである。

これは、タイ人が、タイ国が経済発展しているのをいいことに、日本人男性との結婚しなくても、十分に自力で富を掴めるのではないか?と、勘違いしているのと同じ構造である。現実問題は、富を掴めるのはほんの一部であるが、可能性がゼロでないと言う点で、そのゼロでない可能性にかける愚かさである。富くじを買う様な感覚か?人生の成功を富くじを買うかのように思っているのである。

テレビを見る事ができないので、新聞や映画を見る事になる。三島由紀夫の金閣寺をモチーフにした映画「炎上」を見た。現代において、幸福について考えるに哲学や宗教を軽視し、精神主義と資本主義や物質主義をないまぜにしているかぎりは、その時代に生きる人の鬱積の度合いはかえって増えていると思われる。つまり、金閣寺の見習僧の救済・信仰の対象であるべきものが、呪われた餓鬼道であったように、私達が半世紀追いかけてきた、資本主義と重ねた幸福が砂上の楼閣である事をリーマンショックと東北地震でつい最近、知ったのと同じ構造である。これは、いまどきの女性の結婚願望が増加しているのみならず、さらにもう一歩踏み込んで、専業主婦になりたいという、女性が増えていることでもわかることである。大衆の価値観・幸福の尺度はなんら絶対的な尺度や信念に則しているわけではなく、時代や収入の額でいくらでもたやすく変わってしまうという、いい例である。

要は、人々が真剣になって云々していた事が、実はどうでもいいような事であったということだ。エコエコと言っていたかと思うと、次は、人と人のつながりや、 幸せとか、新しい価値や人生観と言っている。 人生など、初めから苦渋に満ちたものであるという前提は、 バブル経済以降の人にはないのだろうか? すべての人は幸せになれるという、実現不可能なマニフェストみたいな前提が
あるように思います。 隣人、親族や家族を大切にするという当たり前の事が 今、ブームになっています。
こういう普遍的な事は、震災とかブームと無関係の事柄であるはずです。このあたり日本人の製品の品質は愛されても、日本人そのものは魅力がないままに甘んじている所以だ。

シェアハウスに住んで、みんなで鍋を食べたら、幸せだったと新聞に書いてあったが、幸せを得るのに、シェアハウスという形態の住宅提供サービスを受けないといけないのか?現代人はどこまで面倒くさいのだろうか?人と人のつながりが欲しいのなら、近所の人やご老人に、元気な声であいさつし、スーパーに行くのをやめて、明るい顔であいさつをしながら、商店街で買い物していれば、人につながりなどいくらでもできるというものだ。そんなものまで、業者の提供するサービスを使わないと得られないとは、日本人のおめでたさもここまできたかと、呆れながら新聞を読んでいた。

話しはもどるが、三島由紀夫の小説「金閣寺」の文章はは美しく、「神の領域」であると、ある御客様がおっしゃっておられたので、買って読むのを楽しみにしているところです。

どこの国でも、大衆というのは物事の本質をみないで、表面を見がちである。リーマンショック以前のアメリカでは、移民の人達が、ジャンク債が飛ぶように売れる仕組みを作った、ウォール街の金融会社のお陰で家を手に入れ、暮らし向きが良くなっているかのように錯覚した。タイ人は、乗用車の数が爆発的に増え、コンケンの街中では車が渋滞しまったく不便になってしまった。朝夕の渋滞は、酷いものである。これほどに、車の数が増えると、いつか自分も買えるのではないか?と思えてくる。しかし実態はローンである。車を作る日本人があまり車に乗らなくなり、アジアでは、日本以上に日本車の比率が高いのである。

ポピュリズムをいう言葉が、最近良く聞かれる。大衆迎合などというが、大衆が賢く、江戸時代の武士ほどではなくても、愛国・主従・利他の精神があり、権利と義務のバランスをとれる決断をしている限り政治はここまでに混乱することなく、ポピュリズム等という言葉も必要ないのである。要は、国民の知的レベルが低下しているということである。これを「B層の台頭」という。
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/17799
大衆というものは、平素はばかげたテレビ番組を喜んで見、くだらないニュース番組を一端のビジネスマン気分でみているのである。しかし、一般的にいって、多くの国民は、私利私欲にまみれているので、痛みを伴う決断などできるはずがないのである。であるから、内閣支持率など、愚かな大衆が気分で物をいっているだけで、民意ではない。NHKも民報テレビも、ざんざん自らの報道で国民の思考を停止させておきながら、民意民意と国民の代弁者のように振る舞うのはずうずうしいのである。確かに民主主義は優れた制度であるが、愚か者が政治や国家の舵とり邪魔する為の道具にしてはいけないのである。橋本市長が「独裁」という言葉を使ったのは、そういう意味で正解なのである。

朝鮮半島が不安定だ。韓国は、北朝鮮と国境で接し民主主義の最前線だ。日本は、日本海を隔てて存在し、将棋でいうなら、韓国は「歩」で、日本国はそれにかかった、「馬」くらいか?御隣が「歩」で失礼なら、逆でもかまわないし「金」でもかまわない。とにかく、西側にとって、韓国・日本は西の民主主義の要衝なのである。漁業資源や海底の天然ガスで、韓国は勇ましく、中国や北朝鮮とやりあっている。日韓協力して海上警戒などできないのであろうか?そういうことでもやって、極東の西側陣営の結束は盤石であることを、国際社会に示さないといけない。日本では、衝突された映像を、国家で隠ぺいするという、腰抜けだったので笑ってしまったが、日本に核の一発でもあれば、中国はあんな振る舞いを日本に対してできないだろう。私たち日本人はそろそろ、平和であることの価値、平和の維持の為の代償を自らはらわなければならない時期がきた。僕みたく、アパート経営している者にとっては平和であることは重要だ。ミサイル一発で、アパートなど吹っ飛んでしまうからだ。分譲貸しのマンションも、ガレキを化すだろう。ミサイルの前には、姉羽マンションも、大成建設施工も関係なく壊れてしまう。残るのはカレキと債務のみである。まあ、そうなったらそうなったで、建設業者として復興需要の恩恵にあずかる事ができるだろう。

地域紛争ともなれば、兵士として借り出される事もあるだろう。その時は、銃をとって勇ましく戦うのみである。
ようは、どうにでもなるのである。また、最初からそのくらいの心構えで人生や物事にあたるべきである。
平和に居暮らし、極端に自我の増長した人がみられるが、それは平和ボケというものである。このオチになると、必ず、耳かきエステの女性に一方的に情念を募らせ、多額のお金をつぎ込んだあげくに、そでにされその女性と祖母を殺した、犯人(電気工事士)を思いだす。この男性が国際結婚を思案していれば・・・・と残念に思う。世間知らずで、このような性格であるから、一回くらいは失敗してお金を失うかもしれないが、自身の可能性と限界を知る機会になり、すくなくとも刑務所はいるような事にはならなくてすんだばすだ。自由だからと言って自我をあまりに、増長させていると、最後は、塀の中という自由の無い所で長年暮らすことになるのである。なんでも貪ってはいけないのである。

◆六道輪廻の間には、ともなう人もなかりけり。
独りむまれて独り死す 生死の道こそかなしけれ

生き物は地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道と生まれ変わっていく間、その道を一緒に行く友などはいない。どの道であっても、独りで生まれ、独りで死ぬ。これが命ある物の生き死にの道理であり悲しいものである。

『一遍上人語録』







2011.12.11
先日、初雪が降った。凛冽の季節がやってきた。この精神に沁みいる寒さは、たるんだ我が精神を奮い立たせてくれる大切なものである。

仲介でお世話になった不動産屋さんが顧客サービスとして、税理士さんに無料相談できるという。年があけると、確定申告で忙しくなり予約がとれなくなるから、今年中に是非ということで、さっそく相談にいってきた。古い建物の減価償却の計算の仕方や、経費がかなり多く計上できる青色申告の説明をうけた。青色申告では複式簿記で記帳しないといけない。複式簿記とはどういう簿記か?と、訪ねると、「今日の帰りに本屋へ行き、簿記3級の本を買い勉強することだ。」といわれました。「必要なのは行動力だ。」と激励してくださった。まるで、僕が御客様に「タイ語の勉強をしてくださいね。」と言っているのと同じだなと思いながら聞いていた。行動力は僕の得意とするところだ。さっそく本屋へ行き、簿記3級の本とドリルを買ってきた。2冊で3360円だ。日商簿記3級の本を携え、レジに向かう途中に、ビジネスのコーナーがにあり、「シリコンバレー流起業入門」とか、「スティーブジョブズ 神の・・・」シリーズやその他の多くの本が目にはいった。

シリコンバレーとかスティーブジョブス・・・どれも、スケールの大きいビジネスや桁違いの成功者の話しだ。そして、その本棚の前で、ぱっとしない中年の男性(僕)が手に、簿記3級の本を持っている。恥ずかしいでもない、みっともないでもない、この、なんとも言えない風刺的な構図で、一人で苦笑してしまった。だれかに写真にとってもらいたいような滑稽な構図であったに違いない。なんでも身の丈にあった事をしないといけないというが、あまりの落差に茫然とするやら、笑えてくるような事であった。

しかし、多くの人が買うのであろう。本棚一本を全部使って、表紙を向けて陳列していた。桁違いの成功者の伝記もいいが、凡人は44歳になってから、簿記3級を勉強するくらいがちょうど良いのである。凡人が偉大な成功者の真似はできないのである。この落差たるや、金魚やどじょうの比ではない。人生は短く、矢のように時間は過ぎ去ってゆくが、こういうことはまずは足元から着実に行くのが良いのである。

日商簿記3級という、来年の目標がもうできた。幸先の良いことである。

2011.11.28
紅葉が美しい季節です。もみじもいいですが、広葉樹の紅葉もまた鮮やかです。
引退したら、タイに住みたいとおっしゃっておられる御客様も多いですが、日本に居て考えを巡らせていても、正しい決断はできないので、まずは半年ほど賃貸でも良いので、住んでみてそれでもまだ住み続けたいと思うのかを見極めてからのほうが良いと思う。このような胸を打つような美しい色彩の紅葉も見れなくなるし、もちろん桜も見れない。旬の産物をいただくこともできない。タイに移住することによって、今、普通に存在し接している物を失うということを良く認識しないで言っている人が多い。秋刀魚に酢橘を絞って食べながら、タイ移住を思案しているのですから、ちょっと可笑しいのです。タイの気候・食事はまったく酷いです。


今年も残す所、一月だ。歳をとると1年が早い。異常に早く過ぎ去ってゆくように感じる。今年は国際結婚のお客さまがすくなく御客様のお世話は少ししかできなかったが、国内での仕事に時間を割く事ができた。
今年の大きな自身のイベントはアパートを買い増したことです。不動産の購入は時間と手間とエネルギーが要る。昨今、社会保障制度の先行き不安で、サラリーマン大家などと言って、不動産投資が流行っている。そのため、今回は物件探しに多くの時間がかかった(かけざるを得なかった)。 物件調査や融資関連書類を集めるのにも、時間がかかる。

不動産は、2つとして同じものはなく、物件探しに大変慎重にあたる必要がある。こういう事業性の不動産は現状有姿で契約することも多く、物件に問題があろうが、100%自己責任だ。今回も、今年の6月くらいから、関西資本の大手不動産屋さんにお願いして、物件を探してもらった。紹介があるとそのつど、現場へ足を運び、その物件とその周辺の地域の様子を勘働きで判断する。その不動産屋の営業マンの方がいうには、東京の方でのアパートの売れ行きはすごいらしい。大阪では、それほどでもないが、それでも10年前に比べると動きは相当に早い。資料を見せてもらい、現地確認をして、周辺地域など確認しスーパーや土地の利便などを確かめて気に入り、話しを前向きにすすめるために、さらに、物件のさらなる情報(家賃の延滞・接道や都市計画上の法律、特殊事情)を得る為に連絡をいれると、「あー、あれはも売れました。」というのは何回もあった。そのため、今回は、ある程度の即断が必要である事がわかり、自分の条件・・・
● 駅近
● 各部屋が同じタイプ(メンテナンスがし易い)
●家族向けで、できれば文化住宅
●コンクリートか 鉄骨構造
●築年数は高くても構わない(自分でメンテできる)
・・・の条件で探した。1ルームは将来、入居者が減少すると思し、なにより、入れ替わりが早く、賃貸不動産屋に支払う仲介手数料が馬鹿にならない。文化住宅は、古い物が多く相対的に利回りが良い。駅近のメリットは将来、急速に収縮する賃貸住宅需要に対応するためだ。古い物は鉄骨構造が安心だ。木造でも、腐った土台や柱の更新はできなくもないが、どうせなら、溶接などで簡単に補強の出来る鉄骨構造が良い。

ということで、阪急沿線の地方中核都市の駅から650Mの立地の2DK×10室、ガレージ3台、価格4750万、年収601万円の築35年の文化住宅を購入した。約半年の物件探しの期間であったが、我ながら良いディールになったと思っている。

●小奇麗な物件だ。前オーナーは相当な資産家で管理会社も自前で持っておられるので、管理が行き届いている。

単純利回りは、12.6%になる。一昔前までなら、このような築年数のアパートなら、15%16%の利回りがあってもおかしくなくが、昨今は収益物件を買う人が多く、駅近の手の出やすいこの価格帯の物件が高止まりしてしまってしている。だからといって、15%の利回りのある物件を探していては、さらに何カ月〜半年もかかる。たった、今も、建物がそこにあり、その収益している人がいる。その建物から上がる果実(家賃)を一刻も早く、自分の物にしなくてはいけない。高利回りや低利融資にこだわる事は無い。時は金なりだ。
駅近にこだわらなければ、18%なんていう物件もあるが、今後は「駅近」は絶対に外せない条件だ。日本の経済とともに都市が急速に収縮しているからだ。2010年代なかばには、自動車産業だけで、60万人もの雇用が失われるとの、経済産業省のレポートがでたばかりだ。

金融機関は前回も使った、ノンバンクだ。ノンバンクは金利が高い。保証人無で融資をうけると、4.3%だ。利回りの良い物件は築年数が高かったり、検査済証がなかったり、している場合がおおく、そういう物件は、低利の銀行融資は受けれない。また、銀行融資が受けれるような条件の良い物件は、売り出し価格が利回りが7〜8%と抑えられている。世の中うまいことなっている。不動産投資は、現金で買う人以外は、融資があるわけで、融資と利回りの利幅に注目しないといけない。

売主さんが言っておられたが、「物件が増えてくると、融資は受けやすくなる。」と言っておられた。今回の契約で、僕の不動産投資も事業レベルに達したことになる。数年、そういう形で確定申告をすると都市銀行や信用金庫でさらなる高額の融資がうけれるかと思う。ゼロから不動産投資を始めてからここまで(年収1500万、内ローン支払い年320万)来るのに、実に16年もかかっている。不動産投資に興味のある人は、この事業の拡大には時間がかかるので、早く着手しないといけない。多くの大家が小規模で終わってしまうのはそのせいである。現在の景気では、不動産の値下がりは避けられない。僕の物件でも、当初の物件価格の半値ちかくまで下がっている物もある。しかし、それをリスク視していては、アパート経営は始まらない。不動産の価格上昇が見込める新興国で不動産を買うのも手だが、決済はキャッシュだ。メンテナンス・契約内容・その他のリスクも多い。キャッシュフローの大好きなロバートキヨサキ氏もいっているが、キャピタルゲイン(不動産の値上がり)よりも、キャッシュフロー(家賃)を狙えと言っている。
人間が歳ととるように、不動産も歳をとる、メンテナンスでフォローしていくしかない。
このアパートの、前オーナーは初老の紳士であったが、御自身の賃貸物件のメンテナンスの仕事をくれると言ってくれていた。16号の給湯機の交換に、13万もかかったとの事であったので、「僕が、6万円でします。」と言っておいた。

僕は、まだ住宅ローンを組んでいない。であるので、住宅ローンで家を建て、簡単な改修工事で1ルーム×6室くらいいの、建物の建設を検討している。住宅ローンを組み、自分でその物件に住んでしまうとよっぽどの金持ちでないかぎり、アパート経営に参入の途は閉ざされてしまう。アパート経営に興味のある人から、相談を受けた場合、住宅ローンを組む前に、ノンバンク融資でアパート経営に参入すべきだと言っている。アパートローンを組んでから、住宅ローンを組むのはかまわない。その逆は与信の関係でできない。その住宅ローンで買った家やマンションを賃貸すれば、それで、二つの物件の大家さんである。自身は、4畳半のアパートで良いのである。僕のように親の援助も無くゼロから大家になりたいなら、そのくらいの根性が必要だ。とにかく、大手デベロッパーの広告に影響をうけて、新築の素敵なマンションを買うなど、もってのほかである。そのマンションも、1年後には、600万引きの中古が、市場に出回る。その600万はデベロッパーの利益である。
運悪く、マンションを住宅ローンで買ってしまった人は、売却するしかない。その物件を貸してもよいが、住宅ローンが弁済できるまで、アパートローンは組めない。「国民の優良な住宅の提供の為」などと、甘い言葉で用意された安易で低金利なローンは便利だが、一生(35年間)ラットレース(←ロバートキヨサキ氏の言葉である。)から抜けられない事を自覚しないといけない。そもそも、国が国民の為に何かを率先してするはずはないのである。率先してするということは、何らかの意図があるのである。不動産屋と建築屋を儲けさせ、国民を住宅ローンという重荷で縛ってしまうのである。物事の本質を見ろといのは、こういう事である。


アパートローンは、基本的に添え担保といって、購入するアパート以外の不動産を担保に付けなければいけない。金融機関は、アパートにはもちろん別の不動産にも一番抵当権を打って、債権を保全する念の入れようだ。このような抵当権の打ち方をしてできる登記上の書類を共同担保目録という。よっぽど頭金があるとか、親が良い不動産を持っているとかの場合は、アパートローンは難しいのである。逆に幸い、自宅のローンが終わっている人は、いますぐにでも、アパートローンが組める。借りられる金額は、年収や担保不動産の価値による。日本の金融機関は、融資時に悲しいくらいに担保に不動産を欲しがる。こんな、社会風土だから、スティーブ・ジョブスのような革新的な経営者が日の目を見ないという指摘もある。



ノンバンクの担当者が言っておられたが、韓国人など外国の方が良く融資を受けに来られるといっておられた。御隣韓国では、定期預金は6%あるそうだ。タイでも、期間や量の条件はしらないが7%の商品を見たことがある。そういう人達は、もっている現金を使わずに、ノンバンクの3.9%〜4.3%の融資を受けてアパートなどを買ったりしておられるそうだ。
4.3%の金利は日本人からしたら高いが、外国人からしたら依然低い。また、ロバートキヨサキ氏のレポートでは、アメリカでは30年間固定金利で4.1%で、それを空前の低金利だと言っておられる。その融資でロバートキヨサキ氏は600〜800戸の団地をまるごとかってしまうそうだ。ローンを払えなくなり、家を手放してしまった人が大挙して入居してくるそうだ。そういう意味で、日本でも家族向けの安いアパートは需要が見込める。


2011.10.11
ご結婚おめでとうございます。


御報告おくれました。8月19日 293番モンさんご結婚おめでとうございます。男性はとてもコミニュケーション能力の極めて高い方でタイ女性とのコミニュケーションでもその能力は如何なく発揮され、僕はただ脱帽するばかりです。おめでとうございます。



2010.10.05
今年の11月に公開となる香港・中国映画「新少林寺」はお勧めです。タイで売っているブルーレイで見ました。
http://shaolin-movie.jp/

http://www.emp.hk/title.php?film_id=66
中国では、今年のお正月映画として、大手映画配給会社、英皇電影と美亜娯楽が、それぞれ「新少林寺」と「孔子」とぶつけてきて真っ向勝負して話題になった大作です。「新少林寺」はカンフー映画ではなく清王朝が倒れた後の、列強の干渉や内乱を描きながら、仏教思想を良く取り入れた内容になっています。阿弥陀仏も出てきます。

中国の阿弥陀仏。浄土信仰は中国から入って来た。

香港・中国映画も、国内の市場向けに映画作りの内容を変えてきており、以前の香港映画とは違う、中国の文化・中国人の好みを感じる事ができます。この新少林寺を見て思ったのは、もはや中国にかなわないなと思った事です。質・内容の高さもですが、こういう映画を受け入れる国民が多くいるということに、もはや日本人は勝負にならないと思いました。

資本主義を受け入れながらも、お正月の大作映画として、「孔子」や歴史や仏教など重い内容(ここで重い内容という表現を使う時点で日本人がお笑いなど軽いテーマを好む事が常態化している事がわかりますね。)をテーマにした映画が配給される中国という国。その文化・懐の深さにただ、驚いてしまいましたし、日本人として恥ずかしい気持ちも湧いてきました。中国人といえば、ハッカーや偽物作り、著作権の侵害の報道で悪い印象を持つようにマスコミに誘導されていますが、映画という形ででもマスコミの報道以外で中国に触れる事は良い事だと思います。

もし、日本でたとえば、松竹や角川書店が映画を制作したと仮定して「吉田松陰」「法然」などいう映画、すなわち儒学や仏教をテーマにとった映画が果たして、お正月映画のメインとなり得るでしょうか?せいぜい、海外の映画なら「アイアンマン3」とか邦画なら子豚とか子犬・・・・そういう映画になるのではないでしょうか?

今、団塊の世代に、「宗教本」が良く売れるそうです。高度経済成長を物質的に豊かになりつつある事に慢心し、無信仰で突っ走ってこられた段階の世代が、日本経済の強さの終焉、自らの定年退職、カイシャというアイデンティーティーの喪失をもって、宗教心が湧いてこられたのでしょうか?収入や家電製品や車やマンションで満足できるという精神は貧しい事に気がついたのでしょうか?

タイでは、高校在学中に「カオ・カーイ」という学校行事として仏教を学ぶ期間があり、数日間野営を張り、白い服を着てお寺に行ったり瞑想したり法話を聞くなどし仏道の実践します。この科目を取得しないと、進級できないシステムになっています。もちろん、小学校・中学校でも先生やお坊さんによる仏教を学ぶ時間があります。タイでも、中国でも信仰は一般的な物で、日本は特別であるような気がします。GHQの統制の下、再出発した日本であるが、ここにもあるように、
新聞やニュース番組などを通じて日本軍の戦時中の非道を繰り返し報道させ、国民の戦意を全く喪失させると共に、国民の贖罪意識を増幅させる厭戦工作

日本国民に対しアメリカ文化の浸透を図る

これらの政策は、私達を骨抜きにしてしまったのである。世界が目をみはる高度経済成長で日本人は、何かを取り戻した、勝ったと思ったかもしれないが、本当に大切な日本人としての精神性・自信・自由・信仰・民族としてのまとまりは取り戻せておらず、その結果が現代の日本の問題のすべての根源となっている。

ガラパゴス化してたのは、なにも、日本製の携帯電話だけでなく、日本人そのものでした。信仰で心の平安を得るという方法のない日本人は、便利で真新しい機能が付与される家電やサービスを使うことのみ、満足を覚える人間に成り下がっている。企業と日本人消費者が開発・消費のいたちごっこを繰り返した結果が、高性能だが世界には見向きもされない携帯で、そのいたちごっこの主演者であった日本人消費者は今度は、いきなり「アップル」の製品に飛びついてしまった。

携帯は買い直せば済むが、新しいものに飛びつくという日本人の卑しい性質は変わっていない。携帯だけならいいが、一国の総理大臣も、スロットマシンの目のようにくるくる変わっていく。支持率が株価のように変わる・・・・これはといりもなおさず、有権者が愚かで信念ではなく気分で政治に参加しているという事である。こんな国が他にあるだろうか?いろんな外国の首脳陣が、「徴兵制度の無い国の国民は信念が無くてダメですなあ〜。」ほくそ笑んでいるように思う。

戦争責任の賠償は、永遠に続くのか?信仰も国軍も愛国心も同胞愛もなく、金(投資)しか興味がなく、新しい携帯をなでて喜んでいるだけの馬鹿で愚かな日本人に成り下がってしまった。、もう、十分に日本人は罰せられた。
かつて、安倍晋三氏の言っていた、戦後スキームからの脱却を行動に移さないといけない。

お笑いやチャラチャラした新しい品物を追いかける日本人ではなく、そういう面もありながらも、中国人のように、信仰や儒教というどっしりした何かを知っている、もしくは、身につけている日本人になっていかないといけないと思う。

まあ、とにかく、11月になれば、「新少林寺」をみてください。
信仰とは何か?が、少しはわかるかもしれません。

2011.9.27
西方親鸞会(さいほうしんらんかい)という、会を設立しました。その会の中に国際結婚の業務を組み込み、未婚社会、少子化社会そして無縁社会化する日本の救済になればと思います。これにより、まとまった金額が無くても、すぐにタイ国際結婚を検討することができます。委細、サイト内にページを設けてありますので、興味ある方はご覧ください。私、早川は、今後、西方親鸞会の運営、真宗の布教、教義のさらなる理解に努力してまいりますが、合わせて、より多くの方に家族を持つ温かみ・幸せを感じてもらうために、門徒さん・協力者の支援を受け、タイ国際結婚も進めてまいりたいとおもっております。

金額は、ほぼ半額になりましたが内容は一切かわっておりませんので、国際結婚業務の詳細は従来のページをご覧ください。

引き続き、女性の更新を行います。

2011.9.8
大阪市児童相談所の職員の無能
また、大阪市内の無垢で尊い命が、大阪市の職員の無能さも相まって、失われてしまった。西淀川区の藤永翼君だ。

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110830-OYO1T00276.htm?from=main4

大阪市児童相談所はついこのまえの、西区の二児が餓死した事件でも、反省していたばかりだった。
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA2%E5%85%90%E9%A4%93%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

大阪市役所には、土木工事の営業で良くいっていた。すくなくとも、週に一回以上。そこで、みる大阪市の職員はたるみきっているとしかいいようが無い職員を散見することができた。机の上には、まったくなにもなくそこに座る職員はスポーツ新聞を一日中読んでいる。ある局の職員の机に上には、醤油とソースの瓶がおいてある。昼食時につかうのだろう。優秀な職員もいて、全員がこうではないが、あまりに酷い。

こんな職員がちらほらいるのだから、仕事をしているように見える職員の程度もそんなに高いとは思えない。そこに、こんな事件がときどきおこる。うどん屋の店員さんが、うどんをもっていく机(お客)を間違っても大きな問題にならないが、看護婦さんが点滴薬を間違えると人命にかかわる。結果の違いはともあれ、原因は些細なミス(ケアレスミス)だ。この児童相談所の職員の無能により、もう、知っているだけでこの1年で3人も死んでいる。看護婦さんが、点滴を間違えると大問題になり、過失を問われてしまうが、大阪市児童相談所の職員はのうのうとしている。なんとも思っていないのだろう。

亡くなった、藤永翼君の事を考えると胸が痛い。このころ、夕方から夜更けにかけて気温がさがる。のこり物の、線香花火で遊ぶと、その弱弱しい火花と秋を思わせる冷たささえ感じる空気が、藤永君の事を思い出さずにいられない。こんな、僕が線香花火などせずに、藤永君が楽しく花火で遊べることができなかったのだろうか?この不況のなか、安定した地位に胡坐をかいた大阪市児童相談所の職員の怠慢の対価が、藤永君の死である。加害者も当然責めに帰せられるべきだが、児童虐待を保護するシステムがなければ仕方がないが、税金を使い職員を配置していてこの結果だ。無垢で尊い命が大人の無知の為に失われてします。このような世の中、行動すべきことがある。

2011.8.17
テレビが映らない。アンテナもテレビもアナログのままだからだ。この先もテレビを買うつもりは今のところない。もともとテレビを見る事は良くない事だとおもっているので、みないでいたがそれでも、テレビが映らなくなって、それでも結構テレビをみていた時間が結構あったのだな?と認識した。7時や9時のニュースなどを見ることがまったくなくなった事により、多くの自分の時間が増える事になった。

テレビが映らなくなって感じるのは、頭の中が静寂になった事があります。
◆ 福島の原発はどうなったのだろう?
◆フランス製とアメリカ製の放射能除去装置はちゃんと動いているのか?
◆汚染された牛肉はどうなったのだろう?
◆あらゆるスポーツ(魁皇・なでしこ・阪神・ボクシング)の結果がどうなったのだろうか?
◆あの事件(犯人)はどうなったのだろうか?
◆ヨーロッパの諸国の国債問題はどうなったのどうか?
◆中国の空母・新幹線はどうなったのだろうか?
数え上げればきりがないくらい、日々起こる事柄のその結果がどうなるのだろう?という興味に頭が支配されるとまではいかないが、気になっていた。そして、テレビで関連報道がなされると、それをずーっとみている。しかし、今はそれがまったくありません。そのかわり、自分の事を良く考えたり、自分の事柄に時間を費やす事ができます。

ちょっとした時間に、ぱっとテレビのリモコンを手にするが、「ハッ」と映らない事を思いだし、なにか別の事をします。最近かってきた、ラジオの電源を入れたり、本を読んだりする。テレビは映らないが、DVDは見れるので、映画をみたりしている。
とにかく、頭が静寂になった。パソコンでいうと、不要な常駐している多くのプログラムをアンインストールしてメモリが相当量空きができた感じだ。

そんな事で、オペラ座の怪人の京都公演が終わりに近づき3才の息子と見に行ってきました。今回のファントムは長身の良い男(佐野正幸さん)な上に、声量が物凄くてファントムの哀れな感じが後退してしまっていたが、それはそれで、その物すごい声量を楽しんで来た。僕の好きだったファントム役は、村 俊英さんで背も高くなくずんぐりとした体型がいかにも自らの容貌にコンプレックスのあり偏執的な恋愛にはまり込むファントムの役にぴったりだと解釈した。

前置きがながくなったのですが、劇場へいくのに駐車場の関係で東本願寺の前を通ったので参詣した。東日本大地震の災害における日本の宗教の果たす役割の弱さに改めて問題点を感じていた。そもそも仏教が衰退しているのか?と思っていたが、ここ東本願寺では多くの信徒が参詣し賑わっていた。

上野公園で職をうしなった人達の為に炊き出しをするのはキリスト教会の信徒たちだ。仏教はあまりそのような救済活動をおこわない。説法はするが、なにかを具体的に市民に与える事はない。どちらかというと受け取るほうだ。喜捨ということか?京都の寺が普段は撞かない鐘を打って、鎮魂などとやっていたが、その程度だ。もし、アメリカなどで今回のような震災がおこればアメリカ中の組織力のある教会・教団がキャラバン隊を出して競って、被災者の救済をおこなっただろうなあと思ってテレビをみていた。日本では、こういう宗教団体がやったほうが得意なことまでを、自治体がしなければならないから大変だ。それは、心のケアとか、医療支援、炊き出しなど多義に渡る。

ヘリコプターの免許をとりにカルフォルニアに居た時、隔週日曜日には近所の教会が行う(通例の)ブランチの炊き出しのボランティアに参加していた。すると、市内の貧困でもなんでもない市民や、メキシコから出稼ぎ労働者の家族が食べにきておられた。各教会が似たような活動をし、大きなテント、大量の机と椅子、炊き出しの什器の一切を揃えてもっている。日本のお寺は信徒用には施設があるが、広く一般人のための備品は揃えていない。教義が違うといえばそれまでだが、日本の仏教の国民に対する精神的寄与・有事の時もっとも必要とされる時の無力さ・無作為にはすこし問題を感じる。

その東本願寺の回廊に、こんなポスターがあった。

真宗大谷派の信徒さんたちはこうやって訓示をときどきうけ、一歩下がって推究することができるが、お寺にいかない人達は資本家たちの宣伝や戦略におもしろいように影響を受けた他動的な人生をあゆむのだろうか?


御影堂

如来の智慧海は、深広にして涯底なし。
(如来の智慧は海のように深く広く、かぎりがない。)
『仏説無量寿経』


2011.7.24
腰痛が治ったので、久しぶりに散歩をしました。日記をみると、6月7日から腰痛を起こしている。この日の前日、子供と一緒にベビーカーを持たずに百貨店に行き、寝てしまった時にずーっと抱いていたのが良くなかった。出かける前に、ベビーカーを持っていくかいかないか思案したのだが、持っていかなかった。後の祭りだ。

約一月以上も運動をしていない。コンケン大学の取り付け道路を歩く。外国人や大学の学生がジョギングしている。女の子のグループは楽しそうに雑談しながら歩いている。自分の足で歩いて前に進めるというのは、本当に気持ちの良い事だ。おりしも、時間的に夜の帳が下り始め、涼しくなり周辺の空気もどんよりとするも、周辺の農学部の植栽からフラボノイドも感じられて、ますます清々しかった。腰を傷めないように体力を回復して、ハーフマラソンなどにトライしてみたい。
僕がタイに来た頃(6年前)は、夜のこの道は閑散としており、夜にここでジョギングする僕にたいして、夜は危ないからやめておいたらよい、と言われた。実際、当時はバイクにに乗った、おじさんがときどき通るくらいだった。若い女性は、バイクでもみかけなかった。ところが、現在はどうだろう、大学の学生の乗るコンパクトカーが列をなして走っている。これだけ車が往来すれば、危険でもなんでもない。タイは緩やかだが、年々目に見えて、社会が物質的に豊かになってきている。しかし、日本のそれとは違いその流れに取り残される人が大部分だ。持てる者と持てない者の格差が開いているに過ぎない。

3組とご結婚と1組のご婚約おめでとうございます。

ゲームさんご結婚、おめでとうございます。お相手40歳第ある省の外郭団体勤務の方です。

 

結婚 タイ女性 ラッキーさんご結婚おめでとうございます。お相手自営業の男性。家族を得て、ますます事業の発展に注力していただきたいです。
ウーイさん、ご結婚おめでとうございます。お相手、30歳になったばかりの、会社員の方でかつ資産家の息子さんです。新居となるマンションもすでに、親御さんから用意してくださったそうで、羨ましい限りです。横に立っているのは僕です。

モンさん、ご婚約です。おめでとうございます。お相手、外資系企業勤務の40代男性です。高いシステム構築能力とエンジニアの知識と押しの強さを合わせ持たれる男性で、将来は日本法人の執行役員かという男性です。世界で活躍されるエンジニアだけに、国際結婚も難なくやっていけるタイプに思いました。モンさんは、タイ人にしては喜びを表にだすタイプで、日本人男性と性格的に合っていると思います。男性の横に座っているのは、モンさんの弟でタイ人の若者の横着な特徴を持ち合わせているので、一喝してやりました。モンさんにも、「ヤー・ハイ・ングン・ンガーイ・ヌガーイ・な.カオ・チャ・カオ・ターン・アバイヤムック」(弟に小遣いを簡単に渡してはいけない。破滅への道にはいるから。)と言っておきました。モンさんはこういう話しを良く理解してくれ、学校の成績通りの頭の良さももっておられます。


新婦の写真が良く?撮れました。結婚式の直前に式場の前でこの様な写真を撮ります。多くの来賓の来られるどたばたした状態で多くの時間をかけれれませんが、そのほんの少しの時間を使って撮影です。カメラはフルサイズ、レンズはカールツァイスのプラナー、単焦点F=1.4です。もちろんデータはお客さまの無料でお渡ししています。別に写真館にいかなくとも、ちょっと補正をかければ、ちょっとした額に入れたりポートレートの用途の供するならこれでも良いかと思います。写真館に行くなら、日本で行くと良いと思います。タイ女性憧れの着物の撮影もできます。タイの写真館は、5〜6ページの小さいアルバムを作ると先に言っておいても、非常に多くのショットを撮り、女性にどれを使用したいか選ばせます。女性は美しい数多くの自分の写真に有頂天になってしまい(鳩に豆鉄砲)、あれもこれも選び、結局何十ページもの分厚いアルバムになり、大変高価になります。これが、外国人と結婚した女性にたいするタイの写真館のビジネスのやりかたです。僕はもともと写真館と使ってのアルバムのサービスはしていませんが、それもこういう理由によるものです。そのかわり、下の写真のようできる範囲で綺麗に撮る努力をしています。

結婚 女性 ウーイさん

2011.7.8

ニッケルアンドダイムドを読んでから、お客様に教えてもらったジムロジャースの本「人生と投資で成功するために 娘に送る13の言葉」を読んだ。アメリカの最貧困社会の潜入ルポを読んだあとに、世界にいったい何人しかいないであろうというほど大成功をおさめ、バイクで世界を一周するという偉業を成し遂げた人の本を読んだ。このジムロジャースという人の本には、あまり投資に関して細かい事は書いていない。そんな事は自分で考えろというようなスタンスなんだと思う。また、教えたところで相手にはつわたらない事を経験された
ようだ。本の中でも、有望な投資を誰かに聞かれ「次は〜〜」と教えても信じないそうだ。このアメリカ資本主義の極端な上と下を2冊の本でさらう前は、茂木健一郎の「アウェー脳を磨け」を読んだ。日本にいて、新しい女性の受け付けもなければ新規の女性を更新する作業もなければ、お見合いも結婚式もないとなれば、アパートの掃除と退去者の部屋のクリーニング(これが、かなりの重労働でホテルのメイドさんには頭が下がる)か本でも読んでいるしかない。また、ここ一ヶ月間ほど、ぎっくり腰になってしまい何をするにも不自由で、そのうち一週間は立つ事も困難だった。しかし本を読むことは大切な事だと思う。ただ、ただテレビをみて漫然と生きているだけではタイ人と同じだ。

6月21日の読売新聞を読んでいたら丘永漢氏の記事があり「日本人は足に根が生えたかのように日本から動こうとしない。」そうだ。

以下、上記の本から引用させていただくと
●茂木「日本人は日本社会の人質みたいなもの。」
●ジム「多くの人は、既成の概念にとらわれやすく、国家や文化、宗教などから大きな影響を受けている。それら、既成の枠組みを取り払って自ら思索する。すなわち自分の頭で考える事。」

●茂木「ある組織やグループに属する人々がさまざまな事を評価したり行動の選択をしたりするにあたって、暗黙のうちに受容し、従っている価値観、ルール、行動の方法論などです。日本人は日本社会で暮らしているうちに、いつの間にか「空気を読む」というルールをマインドセットとして刷り込まれてしまっているのです。

言葉は違うが、3者は同じ事を言っていると思う。

これらの知識人の言っている事は、国際結婚を成功させるためには必要だと思う。しかしこの手の話しが理解できない、またはしようとしない人がおられる。その硬直した思考の状態で、なおかつお金でつながりたくはないのなら、いったい何で外国人女性とつながるのか?娘のように若い女性と、狭い日本でしか通用しない価値観で如何にしてやっていくのか?このあたり、思考が止まってしまっている人がおられる。なかには、うまく行く場合がある。それは女性の性格や忍耐があまりに優れている場合である。そのような女性は多くいるものではない。

こんがらがったら、基本に戻ることだ。人間は動物だ。インターネットやテレビばかり見ていても、人間だ。僕の子供が好きなので、「ダーウィンが来た」のDVDと一緒にみていると、動物の♂の♀に対するアピールはすごい。コウロコフウチョウはダンスを必死で練習する。カワセミは餌を♀にあたえる。ペンギンは多くの石を集めて他の♂よりもより立派な巣をつくろうとする。これらの動物を見ていると、人間って生き物としての本質からかなりズレている部分があるなあと思わずにいられない。動物は種の保存の為には、あらゆる努力を惜しまない。人間も動物であるが、種の保存に対する熱意はどの動物よりも弱い。日本に技術は・・・とか、武士道が・・・とか、日本のGNPはとか・・・個々の男性にあまり関係ない事柄は、ひとまずおいておいて、自分自身を目の前の女性にアピールしないといけないと思う。

茂木氏の言うマインドセットを解放すると、自分にはなにも残っていないことが分かる。僕自身タイの仕事にかかわって、良かったと思う事はこの事だ。自分や日本がとるに足らない人間でありすでに日本が過去の国になったしまっていることがわかると、タイ人やその他の外国人の前での振る舞いももうすこし、一生懸命で真摯になるだろう。相手の外国語も勉強しようと思うだろう。

●ジム「私が今、世界中の人に最高の助言をすることができるとしたら、『子供や孫には中国語を習わせなさい」ということだ。」と言っている。
「オープンマインドになっておくれ。」「自発的に動く。」その他いろいろの事を、彼は自分の娘に教えるように語ってくれる。

日本人が日本人以外と関わる。是非これらの本を読んでほしいと思う。いったん国際結婚に成功したらあなたとその子孫は、世界への切符を手にしたも同然だ。とあるタイ人の類稀な性格の良さや忍耐によりかかり、足に根が生えたまま日本人の殻を割らずにその中で暮らすのも良いが、それでは世界が狭いままであまりにもったいない。

いま、震災後の傾向として、生き方や考え方が変わったそうだ。人と人のつながりがどうのこうのと盛んにテレビでやっている。物や快適さの追求から、人と人のぬくもりなど人々のトレンドが移行しているそうだ。6月22日には、NHKで蝋燭を焚いて、「他人に思いを馳せる。」などとやっていた。ばかばかしい。こんな当たり前のことをNHKで国民に周知しないといけないか?恥ずかしいから止めて欲しいものだ。また、震災後、女性の結婚願望が急激に上がり結婚相談所に駆け込んでいるそうだ。散々国民をコマーシャルや報道で、大量消費社会に導いておいてそのテレビが今度は「他人に思いを馳せる」などと言っている。結婚を含む他人との関わりで生きて行くなら、自己主張や自我は半減させ他人を思いやらなければいけない。そんな事が現代日本人にできるのだろうか?

節電節電というなら、どうして「テレビを見る時間を減らしましょう。日本人はテレビを見る時間が諸外国を比べても長い。思考がますます停止し、個人・国家ともに競争力が削がれますよ。テレビを長時間見続けることにより、受け身でいる時間が長くなり精神が自主性に乏しく幼稚にもなり児童虐待で命を失う子供が増えますよ。」と言わないのか?なんでもテレビを見て、決めたり考えたりしていてはダメだ。

60W 12W 8W


LED電球の大騒ぎもそうだ。60Wの白熱球から、蛍光ランプに交換すると、消費電力は12wになり、1/5になる。LEDに交換すると、8Wになり、約1/7.5になる。しかし、いまどき、白熱球のままで使っている人はあまりいないだろうと思う。では、蛍光ランプからLEDに交換したらどのくらい、節電になるのか?これは、ほんとうにわずかな差でしかない。4Wの差でしかない。電気代は約23円/1000Whだ。250時間点灯して、やっと23円の違いだ。普通、60Wの白熱灯はトイレとかお風呂場玄関ホールくらいか?こんな所の点灯時間は短い。この僅かの差の為に、価格が蛍光ランプの10倍もするLEDランプを買うのか?テレビは一切言わない・・・「現在、蛍光ランプを使っている人は、LEDを買うのは勿体無いですよ。」とは。なんでもテレビを見て決めていたはだめだ。

アナログ放送はあと、16日でおわるそうだ。僕はまだ、デジタル化への対応はしていない。別にテレビを見る為に生きているわけでもないので、このままほうっておこうと思っている。どうせ、タイにいれば日本の放送は見れない。自然災害緊急放送が見れずに死んでしまう事もあるかもしれないが、ずーっとテレビをみている弊害のほうが、日々ボディーブローのようにその人の人生に悪影響として効いてくるだろう。

◆タイ社会では、誰もが金銭的には余裕のない状態でくらしているが、それでもそこにはちゃんと社会がありそして、お金の無い者どうしであっても、ちゃんと階層ができている。日本では、お金の有る無しや持ち物で人を区別するような風潮があるが、タイではそもそも一部のお金持ちを除いてみなさんがお金の無い状態だ。その状態では、お金のあるなしは判断基準にはなりえず、その人の人柄、相手を受け入れる度量などを見て人を区別している。そういう意味では、タイ人の人を見る目は日本人より厳しくより人間の本質を見抜くことに長けていると思う。 うかうかしていると、私達日本人はたまたま豊かな国に生まれてその社会に生きる甘ちゃんだ、半人前だ、とすぐ見切られてしまう。

◆文化の違いという言葉を良く簡単に使うが、それは、映画館で国王表敬と国家の流れるシーンで起立することや、お寺に頻繁に行かなければならないとか、タイ人は家族を大切にするとか、表面的な事柄やただ知っておしまいということではない。そんな簡単に知識の増補で文化の違いが埋まるなら、世界でこんなに紛争がおこっているわけが無い。文化の違いを乗り越えるというのは、知識の増補ではない。もっと、日本人にとて不愉快な事柄として降りかかってくる。先日、語学の先生と話していて、先生が言っていたのは、「『海外へ行って、自国の良さが分かった。』というのは、日本人に多い。」と言っておられた。大抵の外国人は自国より外国のほうが、住みやすいと思うそうだ。それだけ、日本人は世界で最高の恵まれた社会環境に暮らしている。私達はある意味、「裸の王様」状態にある。ということは、私達は一歩外へ出れば不愉快な目にあうということだ。国際結婚のシーンでは、よくあるのがタイ人はまず手紙を書かない。そういう事に価値を見いださないからだ。日本人男性が手紙を書いても、返事がかえってこないと憤慨されておられる事がよくある。また、なにかしてあげても、「ありがとう」とは言わない。お金を持っているものが、無いものに与えるのは当たり前のことである、と考えている。これこそが、文化の違いです。このような事柄をジムロジャース氏いうところの「オープンマインド」で精神の乱れなく受け流せる度量や見識が必要だ。茂木氏いうところの「マインドセット」からの解放が必要だ。自らぬるま湯を出て、不愉快な事柄を平然と受け入れるのは努力がいるが、国際化・国際結婚には欠かせない要素だ。外国人が日本人のように、行動規範が整っていないことを非難していても仕方が無い。日本以外の国の女性と結婚しようと思案する以上、それらは一旦は受け入れるという態度で事にあたって行くしかない。しかし、どれもこれも、最初は当惑するが慣れれば大した事がないことばかりだ。われわれのこだわりは案外大したことないのだ。




2011.6.18


パソコンのハードディスクの容量がすくなくなってきたし2年間と長く使っているのでので、この際SSDに交換しようか?と今年に入ってから思案をしはじめたが、SSDは非常に高価だ。やすくなったとはいえ、256Gのが6万円くらいする。思案しているうちに、どんどん時間がたち、2年半以上という時期にきてしまった。サイトで、ハードディスク(以降、HDD)関連のサイトとみているうちに、クリスタルというラインナップでHDDの状態をしらべるソフト(無料)があるのを知り、さっそくHDDの検査をしてみた。

http://crystalmark.info/

すると、なんと危険信号が出た。温度が高い!43℃になっている。また、不良セクタも読みだしエラーも多いみたいだ。読みだしににエラーばかり出ていると、自動で誤り補正をするだろうが、いらない作業に資源が取られてしまう。そして、エラーの起こるセクタのデータを違う場所に移すくらいの事は自動で行っていると思われる。これでは、効率が落ちてしまう。

ということで、SSDの値段が下がるのを待たずして、即HDDに交換を決定。いまから思えば、良くいままでクラッシュしたり、起動不能に陥らなくてよかったと思う。ヨドバシカメラへ行ってバッファローとI/Oデータのコーナーを コンピューターオタクよろしく右往左往してスペック比較して買おうと思ったのですが、なんと商品には値段がちゃんとついていない。店員に商品に値札がないとはどういうことか?と言って、価格を教えてもらってびっくりしたのだが500Gの引っ越しソフト付きが14000円以上もする。バッファローとI/Oデータはカルテルを結んでいるみたいだ。高い!あまりに高い!店からすると、この商品を買う人はほどんどいないということらしい。すると、店員がバルク品のHDDと引っ越しソフトをばらばらに買うと安いというので、そうした。それでも、10000円くらいになった。ネットで買ったら良かったと思ったが、せっかく来たのだからと買う事にした。それに僕は、商品は店まで来て買うという昔人間の習慣が身についている。それに、広い店内を歩けばカロリーも消費されるはずだ。店員が薦めてくれたHD革命というソフトは4年程前に使ってパソコンが起動できなくなった経験があり怖いが、リカバリーの面倒くささもOSが起動不能になるのも避けたい。となれば、この手のソフトを使うしかない。

この時、外付けのHDDケースを買うのを忘れていた。(この時点で僕は2つの事柄でボケていた。1つは、ケースの買い忘れ、1つは自分のノートにはHDDが2個あること。歳がいくとはこの事だ。)

後日、近所の量販店で980円のケースを買ってきた。
HDDケースに日立の500GのHDDをいれて早速開始・・・・・・・いきなりHDDに問題があることを示す表示が連発する。なんだか嫌な感じがする。一応、指示通り、チェックディスクをすませる。エラーの数は減った。そして、ある程度のエラーは無視するといった、マニュアルのアドバイスにしたがい先に進む。ディスクにエラーがあるから、交換するのだ。なるほどと思う。

しかし、このもっとも重要なコピーの作業、1%のデータのコピーになんと1時間弱かかる。こんな事では、100%すませるのに100時間かかる?ことになる。24で割っても、4日間かかる。コピーの最後のほうは、加速度を増すことを祈りながら節電設定を適当に変更して画面やHDDの電源などが落ちないようにして寝た。朝になると、14%などとやっている。

遅い・・・

こんな事では、途中でフリーズするのではないか?なにせ、いままで4日間もパソコンの電源を入れっぱなしにしたことがない。そうでなくても、ビデオ編集ソフトを使い、1つの作業が終わるたびに再起動して使っているくらいだ。案の定、3日目にパソコンが固まってしまった。(当該作業をしながら、パソコンは普通に使えるのでそう不便は感じなかった。)最悪だ。もういちどやるか、リカバリーするか?HD革命の説明書を読んでいると、HDDがあまりに老朽化しているとデータの引っ越しができない、とも書いてある。「なんじゃそりゃぁ!問題があるから交換するんだろうが〜」と思ったが、ブートコピーというOSが起動前の状態でHDDの状態をそっくりコピーをしてしまうモードもあり、この方法に賭けるしかないな・・・と思っていると、良いタイミングで・・

近くお見合い予定で面談をさせていただいたドイツの企業に勤めるお客さんが、「デスクトップだとUSBなどでHDDをつなぐよりも内蔵のHDDのほうがアクセスやコピーは早いはずです。」と書いてくださった。そこで僕はハッと我に返り自分のノートパソコンには、HDDが2個入っていることをこの時点になってやっと思い出した。

さっそく、Dドライブを外してしまい、そこに新しい日立のHDDをいれで同じ作業を開始。早い!猛烈に早い!さすがインテルICH9コントローラー!?猛烈といっても、1%に1時間弱にくらべると早いというだけで、1%に4分弱くらいかかっている。これならば深夜の1時くらいには作業が終わりそうだ。このまま寝てしまおうかと思ったが、もう3日間も無駄に時間を使った。残りの人生が減ってくると時間を有効に使おうという気になってくる(焦ってくる)。この作業は終わらせてしまいたいので、ステータスバーを横目に見ながら、「ニッケル&ダイムス アメリカ下流社会の現実」という本を読んだ。かなり読むことができた。この本を読んで、こんな事ならアメリカ貧困層女性と日本人との国際結婚サービスが成り立つのではないか?と思ってきた。時給6ドル50セントで働く人たちが職を探すためと、その日寝る為のアパートを探すのに見る、タブロイド紙に日本人との国際結婚という広告を載せたらどうなるだろうか?旧共産圏の人の中にはカタブツの人がいると書いてある。こんな女性なんかぴったりだ。このような人達とくらべると、日本の非正規雇用の方達のほうがよっぽど恵まれている。この本を読んで砂を噛む様な気分になった。この本の事はまた書いてみたい。

午前1時半過ぎにやっと作業は完了した。99%から100%になるのに、15分くらいかかった。ひやひやした。そして、DドライブからCドライブにいれかえ、起動する。正常にウインドウズ7ホームが起動した。ハードディスクの音が「グ・グ・グ・グー」という低い音だ。交換前のは、富士通ので「キ・キ・キー」と高い音を出していた。その後、使用しているが、まったく問題はない。クッキーの値もそのままだ。便利な事この上ない。先のお客様のもうひとつのアドバイスすなわち、「エラーのあるHDDでは、デフラグをしてはいけない」ということでした。そういえば古いHDDではデフラグを始めてもあっという間の終わってしまい、本当にやっのかな?と思う事がよくあったからです。この引っ越しでは、データの断片化がそのままでコピーされているので、交換作業を終えてからデフラグをした。すると、やっと僕の期待するような時間(何時間も)をかけて作業が行われた。パソコンは快適に動作しています。シャットダウン時の「メモリが "read" になることはできませんでした。」というエラーもでなくなりました。

K様、アドバイスありがとうございました。

お客様も、パソコンのHDDは古くなっていませんか?
デフラグやレジストリークリーナだけで対応していませんか?デフラグは古いHDDにはかえって逆効果だそうです。そう古くならないうちに、交換したほうが良いと思います。古くなれば古くなるほど、作業に難儀し時間がかかると思います。今回はお客様のアドバイスによりハードディスクが2個あるノートパソコンだったので救われました。USB2では、そう早い伝送スピードは期待できません。HDDがまだそれなりに健康を保っているうちに交換が良いと思いました。僕の今回の感覚では1年半くらいで交換してしまったほうが良いくらいですね。HD革命というソフトも役にたちました。


2011.5.26
◆コンケンでの盆栽展示会
タイの本屋に盆栽の雑誌が売られているのをたまに見ることがあったが、実物をこれだけまとまった数をみたのは、初めてで写真にとりました。使っている植物は違うけれども、それらしくされておられます。

タイ 盆栽

タイ 盆栽

タイ 盆栽

◆空港で見た、タイでの公務員の地位がわかろうかとうバス。
チャイ・ナイ・ラーチャカーン・タオ・ナン
直訳すると、
使う・中で・公務員・それのみ→「公務員のみが使える」くらいでしょうか?
この中で、タオ・ナン という言葉は物事を限定する程度をとても強調する言葉で、
とてもじゃなないが、「公務員専用車」ぐらいの翻訳ではすまない言葉である。
この言葉の中に「一般人は乗ってはいけない、公務員は特別である」という、
排他的なメッセージが含まれています。日本でこんな表示をすれば、大変な騒ぎになりますね。
タイ 公務員

2011.5.18
ご婚約おめでとうございます。

273番のウーイさんは、劇団の俳優みたいなハンサムで長身の20代男性とご婚約です。こんな男性なら、日本の女性もほうっておかないと思うが、日本女性も理想が高過ぎるそうだ。日本の国際的地位も株価も往年の輝きはないが、女性の理想と年金給付の水準だけは高止まりしているようだ。ウーイさんは、お勧め度の高い女性でしたが、この度、ご縁がありウーイさんのご両親からよい娘さんを預かっておりました僕としてはとても安心しました。

男性は、世界に眼を向ける人で、「冒険投資家ジムロジャース」の本を薦めてくれました。この本はとてもよかったです。アメリカ人の開拓者精神のパワーを感じました。投資の興味ない人でもおもしろいです。そして、最後に思うのはいつも同じ・・日本人はもっと世界に出て行かないといけない。個人のレベルでも、中国人はアフリカに怒涛の勢いで新天地を求めて出て行っている。アフリカなど、新興国はだれにも、平等に投資の機会があるにもかかわらず、私達は出遅れている。僕のタイの事務所の近くには、日本の電動工具のマキタの代理店があり、大変な盛況だ。どこの国でも、男は道具が好きだ。その店はマキタも売るがイタリアや中国の安物の工具も売っている。マキタの純正のドリルのビットを買いにいくと、店主がトロフィー(優良販売店としての表彰)を見せてくれ、「私は日本に何回も行った。マキタが私を招待してくれた。」と言っていた。

日本人は職がない、職がないというが、こういう形で私達が積極的に自国の製品を自信と誇りをもって、外国で売りに行ってはどうか?マキタなど、小売という形態の必要な大手のメーカーなら、ノウハウを授けてくれるはすだ。別に、マキタでなくても、バイクや車、日本製品で世界で売れる物がいくらでもある。現地人(タイなら、中国系タイ人だ。)にこれをさせるのでなく、日本人が自分で売っても良いと思う。僕、自身が電動工具に馴染みがあるので、アフリカでの、電動工具販売など、大変興味がある。とてつもない市場の広さがそこにはある。すばしっこい中国人にマキタを売らせるのではなく、まじめな日本人に細かいケアと一緒に売ってほしい。さらに日本人の名声があがるはずだ。


2011.5.8
ご結婚1組、ご婚約2組、おめでとうございます。

ナムフォンさんご結婚、おめでとうございます。お相手50歳代会社員の方です。ナムフォンさんのような、女性の魅力や良さは、写真に撮ったり、文章に表わす事は難しいです。しかし、本当は素晴らしい女性です。いうなれば、Hidden Vein です。ちょっと垂れ目で、形の良いお口でマリリンモンローみたいになりました。

 

240番ゲームさん、ご婚約です。この女性は、忍耐力があり高い年齢の男性との結婚となるかな?と思っておりましたが、40歳代の男前の男性との婚約となりました。

ラッキーさん、ご婚約です。お相手、自営業の50代男性です。おめでとうございます。右端の女の子は娘さんで、母を取られるとおもったのか、ブンむくれです。しかし、この手の問題はまったく問題ありません。子供がいても再婚相手に迷惑かけないよう、身一つで嫁ぐのは、タイの社会では普通に考えられている事柄です。



2011.5.6
物事の本質、物事の本質。と前回は書いてしまったが、今回は、さらに厳しく書く。

僕のいつも目の敵にしている、ダイソンの掃除機。現代は物事の本質よりも、その経過や手段を云々するような豊かな時代になっている。掃除機の目的は、床を綺麗にすることだ。遠心力を使ってゴミと空気を分けて、どうのこうの・・こんな事は手段にすぎず床が綺麗になることは、リサイクル店で売っている1000円の掃除機も3万円も4万円もするダイソンもかわらない。
床が綺麗になるかどうかという点では、フィルターと使うのか遠心力を使うのかなどどうでも良い事だ。 グリコのおまけで喜んでいた世代が、そのまま精神の成熟をともなわず大人になるからこんな高価な掃除機がうれるのだろう。
こんなどうでも良いような事を云々していると、肝心な事、物事の本質が見えなくなる。
このまえも、ヨドバシカメラでダイソンの掃除機についてしつこいくらい店員に質問攻めにしている男がいた。

北野武氏の本によると、企業は「うちの家電(車)は50年持ちます。だから環境に良いです。」などと高耐久性の製品は技術があっても絶対作らないそうだ。50年もの耐久性のある家電を作れば確かに消費者のお財布と地球環境に優しい。しかしそれでは多大な投資をしている企業は立ちいかない。企業の運営が地球の環境の重い負担を掛けながら早い消費サイクルの上になりたっている以上しかたがない。これを支えるのは企業の広告とその影響を受けやすい我々だ。スローライフなど、掛け声ばかりだ。これが、本当のところだ。

日産のダットサンという古い車のエンジンブロックは、品質の高い鉄を使い高価な希土類を混ぜそれこそ50年もつような品質であったそうだ。当時、ひたすら高性能を追い求めていたので、消費サイクルなどとば別に品質向上に励んでいた時代だ。しかし、今はそんなことはしない。せいぜい20万kも持てばいいくらいのエンジンブロックの鉄の硬さになっているのではないだろうか?

今流行のアンドロメダやアイフォーンも情報の伝達の機器で、それは郵便や宅配と同じで数ある手段の一つにしか過ぎない。得意げにデジタル端末をいじってはいても、郵便局で郵便物を送った事を自慢している人は見たことが無い。そういえばタイに来る前に神社で拝んでいると、社務所の人に「御苦労さまです。」といわれた。アナログな事はかえって珍しくなったのだ。神社の境内は昔は格好の子供の遊び場だった。現在はどうだ。平日には人がはいってくるのが、珍しいくらいだ。話しはもどるが、アンドロメダも郵便も本質的には何も変わらない。確かにデジタル端末は、決済や株取引などができる。しかし、その一方で証券会社の店頭には、引退した、おじさんやおばさんがおしゃべりしながらダラッと過ごしていて楽しそうだし、現金で支払うと金銭感覚が身につく。真新しい手段には価値があり、オールドファッションな方法には価値がないのだろうか?そいういう意味では、結婚など本当にオールドファッションだ。有史以来人類が行ってきた事だ。近隣の人、家族とのつながりやぬくもりをないがしろにしてまで、先進機器や最新のライフスタイルをおいもとめた人が、今度は結婚というアナログでオールドファッションの極みを成そうというのである。

そしてこの見方を結婚という事柄に向けると、さらに複雑になってくる。そもそも結婚とはなにか?赤の他人が家族を作る。それも文化や考え方が違いさらにはその問題を解決するはずの言葉の通じない相手と。そして御客さんは言葉が通じない事に、まったくと言ってほど危機感がない。掃除機など家電の場合はその手段に病的に執着するのに、国際結婚となると肝心なコミニュケーションの方法・手段に感心がない。それには勉強という苦痛が伴うからか?遠心分離の掃除機の遠心力の値を覚え東芝とダイソンの売り場を何往復もしてスペックを比較しているくらいなら、タイ語の一言でも覚えた方がよい。

ちなみに、スペックはタイ語になっていてもちろん機器の性能にも使うが、異性に対する「好み」という意味でも使う。「カオ、マイチャイ・スペック・コーン・チャン」と言えば、「彼は私の好みでは無い。」ということだ。タイ語ではスペックとは発音せず、サペックと言っている。

そもそもこんなサイトを見ている人は、積極的には消極的にか消去法でか意図的かたまたまか仕方なくかは不問にするとして、日本人女性との結婚の機会がなかった人か興味が無い人だ。もしくは、あったかもしれないが過去の物となってしまった人達。そういう男性がさらにハードルを上げて卑猥で甘美な意図を隠しも持ち、国際結婚という難関に挑む。それは多いに結構な事だと思う。男には男の本能があるし、山があれば登るのはこれまた人間の本能だ。しかし高い山や冬山には装備が要る。

国際化という言葉はマルチメディアとかITという言葉と同じくらいに陳腐になってしまったが、日本人の意識の中の真の意味での国際化はNHKのドラマでブームになった坂本龍馬の時代から変わっていない。(坂本龍馬とか、高杉晋作など歴史上の偉人は心の中の師であるはずなのに、いまや生まれては消えて行くブームの一つのネタでしかないようだ。安易にドラマ化しないでいただきたい。)日本人はなにもかわらず、交通手段・通信手段のみが発達した。外国は遊びに行くところぐらいにしか思っていない。

そして、それ(国際結婚)は優生学的にも必要だ。私達日本人の遺伝子は劣化してきているのである。どんな業界でも傑出した人には在日の方や外国の方との混血の比率が多い。総国民に対する、在日の方や外国人とのハーフの方の比率からすると圧倒的な多さだ。

時代の趨勢、個人的にも種の保存の必要性からいっても好ましい国際結婚であるが、結婚という事柄の本質を同じ日本人とするよりも解っている必要があると思う。

家電製品は持ち主を選ばない。商品の対価を支払えば、必ず自分の物になる。空き巣に遭わない限り、朝おいてあった場所に夕方もそこにある。しかし結婚は違う。相手に自分の価値や値打ち魅力を値踏みされてしまうのだ。いままで、一方的に商品の品質やスペックを云々していた人が、今度は立場が逆転してしまう。厳しい、選択と評価の対象に自分がなってしまうのである。僕のお客様をみているとその危機感がない人が多い。自分自身が女性から評価されつつあることを忘れているのである。多少お金をもっているかもいしれないが、あまり女性に使ってあげないで、危機間無くタイ女性との結婚生活を進める間に、知らない間に女性からのマイナスの評価はたまる一方で、気がついたら女性の態度が冷たくなってしまい、そこで急に「早川さーん!」と救援信号を発する事になる。器と一緒で割れた物を糊で付けたら「ハイ!OK。」とはいかない。家電ならカスタマーセンターに電話して修理すれば良いが人間関係の修復は難しい。

相手からの評価、これを簡単に言えばいままで課長や部長(他人を統括する人)だった人がリストラされて道路工事の現場で土方するようなものだと思って欲しい。いままでどやす一方だった偉いさんが一平卒になってしまうのである。高卒の現場監督にどやされるのだ。

危機感をもって事にかかっても良いと思います。無機質である家電製品を所持するに頭は使わない。しかし結婚は別である。サンデル博士、ドラッガー博士、北野武などの著名人がこぞって頭を使えといっている。人生の目的がパソコンやデジタル機器の購入やゲームで遊ぶ事が目的で、一生独身で孤独死もいとわないと言う事なら、思考は停止させておいても良いが、結婚や国際結婚などと、少々物事の本質に迫らなくてはならない事柄を自分の人生に取りこむなら、物事の本質に迫らなくてはならない。


そして男女間の付き合いの本質とは?そして結婚の本質国際結婚の本質どうなっているのか?それが見えていなければ、舵の無い船と同じだ。お客さんを見ていてこのあたり非常に気になる。僕が業務の一環として、いろいろアドバイスできるがそうなってしまえば、もう自身の人生のマネージメントでななくなり、他人まかせのコンサルタントになってしまう。企業の2代目の出来が悪く、コンサルを雇う話は良く聞くが、そればビジネスの話しであり夫婦の問題ではない。所詮、コンサルなんて赤の他人で怪しい商売だ。またコンサルを入れるのに性質上そぐわない事柄もある。夫婦の事柄などもそうだ。自身のマネージメント力で幸せを達成されるべきである。マネージメント=DIY なのである。

マネージメントという言葉なんかカッコいいみたいな言葉だが、「サバーイ」「ロシア的」と同じで、ネガティブな意味をうまく遠まわしに表現している。要は思考の停止した人が思考を再開させるにはどうするか?それも、多面的に!みたいな事である。これは、「多面的に頭を使え」ということだ。物事の本質を見極め、自分自身を鳥瞰するように分析し効率良く実践することだ。船で言えば、望遠鏡と羅針盤を見て、帆を正しくあげ舵を切り嵐と海賊を避け目的地に行くことである。自分で考えて決定し、自分でする!これがまさにマネージメントだ。現代人の人生をこの船に例えると、渦潮の渦巻きに捉えられてぐるぐる回っている状態なのにクルーは甲板でインターネットやニンテンドーをして遊んでいる感じか?

ドラッガーの本は買ってないが、立ち読みしているとデジタル機器は道具にすぎず目的ではない、とか消費行動至上主義からの脱却などと書いてあった。こんな事わざわざ書くこともない当たり前の事だ。そんな事をわざわざドラッガー博士の名前をお借りしてありがたく学ばせていただかないと頭に入らないほどに、我々はタイ人みたいにプライドが高くなり、そして思考は停止しているのである。そうでなければ本屋にこんなに多くのこの手の本が置いてあるわけがない。戦時中の日本なら「歯をくいしばれー!」とアントニオ猪木みたいに教育的指導・鉄拳制裁で済んだだろうような話しだが、今は個人の権利が強いので、ドラッガー博士のお出ましとなる。なんとも、面倒くさい時代だ。(良識ある東京都民は石原氏の再選に何を求めたのか?大阪では、NHKで「アホやねん。好きやねん」という番組がある・・・いまでも、たいがい(相当な程度)だが、これ以上アホになると困るな〜。)


拡大@
拡大A

僕がここで何をいっても、始まらない。まずは北野武氏の本を読んでほしい。人生の本当の意味が、便利、安い、早い・・・・マスコミやデジタル機器とはまったく違う所にあることに気づく事が先決だ。
世の中、資本家の垂れ流す情報で、個々の人間が人間として生きていくに必要で重要な事柄が各人の頭の中からスッとんでしまうくらいに、頭の中が情報(ほとんどが対価の必要な情報)で、すでにあふれかえっているのに、さらに、小型情報端末器を使って情報を探す。(北野武氏風にいえば、「探しまくる。」)資本家に自分の血をすわせながら、便利・早い・安いの価値観の中で表面上は楽しく生きてきた男性が、自らの価値観(家族)を作るためにぬるま湯を出て、結婚する。いままでプラモデルしか、やった事が無い人が、阿弥陀如来座像を彫刻(京都:平等院)する定朝(じょうちょう)やカッラーラの大理石からダビデ像を削り出す、ミケランジェロになるのである。 マウスやリモコンやゲームコントローラを持ってばかりいた人が、槌を振るう事ができるだろうか?四角い大理石から、ダビデの形を削る(結婚を成功させる)には、一体どれほどの、観察力と、想像力と使わなければいけないだろうか?

僕のお客様には、物事の本質を掴み、人生を成功させて欲しいと思う。

2011.4.15
春は気持ち良い。この気持ちよさは、何物にも代えがたい。何度でも体験したいものだが、これは冬の寒さとセットでもある。また、これが、一生に与えられた天命の数だけしか、経験できないとは、さびしい。僕なら、あと、30回くらいか?30年と聞くと、桜の木をもう一本植えて、苗から愛でるのも良い。桜の木の成長はとても早い。
国際結婚の仕事でタイにいったりしていると、この春のすがすがしい季節を日本を留守にするままに、過ぎてしまうことがあるが、今年は、マンサク、梅、モクレン、桜とすべての花を見ることができました。毎年は、梅は見れても、桜は見れないとか、梅は見れずに散り初めの桜だれを見れたなど、春を感じるにしても、中途半端ですっきりしなかった。タイにかかわって、この、春の季節の価値やその気持ちよさの価値の高さに理解が進みました。冬の寒さと厳しさと、春の暖かさ・麗らかさの弛緩はどちらが欠けても、成立しない。東北地方は冬の寒さが厳しく、忍耐強い人が多いことが震災の避難暮らしやその後の復興への作業において明らかになった。あらゆる国の、報道がそれについて報道している。寒さは忍耐を養うようだ。
タイに住むことを思案しておられる方は、自身の身の回りに当たり前のようにある、価値の高い物を失ってでも、本当にタイに住みたいのか思案すべきだと思います。

四季の精神に及ぼす影響とくに、人間の成長期には精神に細やかな感性を養う事ができす。また、冬の寒さんは忍耐を養う。タイ人とかかわりながら、これは間違いないと思う。ロシアの文学は重厚で、タイやフィリッピンなどには、文学といえる物があまりない。ベトナムのナム・リーという「ボート」という作品を書いた新鋭作家もいるが、古典は無い。この違いは気候のせいだろうか?この件につき、正直者の、アメリカ内務省の日本部長のメア氏の件を取り上げたい。僕はこの人と、小沢一郎という人は心情的に好きに思う。この人(メア氏)の一連の発言は、一部真実なんだと思う。そして、糾弾したのは、マスコミで、不愉快に感じたのは、沖縄の方々だ。沖縄の人を怠け者とか、ゴーヤーがどうとかいう抽象的は言葉でくくってしまったのは確かに良くない。ゴーヤーはとても簡単に栽培できるからだ。しかし、沖縄には「沖縄時間」という言葉があり、タイには、「サバーイ」とか、「タイ人気質」とか、「ロシア的」「ノーメンクラトゥーラ」ように、その国や国民の気質・様子を遠まわしに言う言葉がある。

事実は事実だけれど、それを公言してしまってはいけない。という、何か、暗黙の約束みたなのがあるようだ。「タイ人気質」という言葉は、要は「タイ人は怠け者だ。」という事だ。「〜気質」とか「サバーイ」みたいなある特定の抽象的な言葉には、かならず真意がふくまれている。それも、悪い意味の。メア氏も、「日本には沖縄時間という言葉があり、それは、独特の沖縄の価値観を・・・。」などと講義していると、更迭されなかったかもしれない。

以前、ここで書いたかもしれないが、京都に仏教大学という、偏差値があまり高くない(これを低いというと、語弊がある。)大学がある。ある、彫刻家が、「平成の大馬鹿門」という碑文のある石造り?の門を寄贈した。すると、仏教大学は、その碑文を消せ(削れ)といってきたので、寄贈した彫刻家は失意の中、持ち帰ったそうだ。当時はこの事件は新聞を賑わした。興味のある方は、ネット検索してみてください。僕は、公人でもなんでもないので、言いたい事がいえるので言うが、偏差値の高くない大学の学生に「馬鹿」という言葉は使えないのだ。それ故に、このウイットが通じないというか、偏差値が高くないだけに、デリケートな問題なのである。メア氏の問題もこの程度も問題だ。この、平成の大馬鹿門を、京大や東大に設置したら、おおいに歓迎されたであろうと思われます。仏教大学側も大人げない。

メア氏の奥さんは日本人だ。それに、相当な日本びいきだそうだ。日本を良く知り、理解し、日米関係の沖縄問題の実務を良くしっている人のようだ。僕も、タイの事を知っているだけに、ついタイに対してはネガティブな発言が増えてしまう。メア氏には心情的に共感するものが多いにある。メア氏は更迭されてしまったが、思いやり予算や、基地の存続問題に狂信的なマスコミの煽りの影響を受けやすく、バランス感覚に欠ける日本国民の世論が飛び火しないうちにとの、幕引きの為だろう。メア氏には、政府からこっそり良いポストが与えられると思う。そもそも、アメリカは日本を属州にくらいにしか思っていない政府・政治家がたくさんいるから、たまにメア氏のようにポロっと本音を出してしまう人がでてくるのだ。あれは、メア氏の個人的な見解ではなく、アメリカの総意だ。メア氏の更迭は、NHKの7時のトップの扱いだった。それで、一番喜んだのは、アメリカ政府だ。

一番悪いのは、マスコミだ。メア氏の言葉の真意を理解しない(出来ない)で、言葉尻を捕らえる。そして、マスコミの短絡的な報道を喜んで見ている、我々だ。ロシアでは、この10年間で、250人ものマスコミ関係者が当局によって暗殺されたそうだ。日本のマスコミが、ここまで暴走してくると、暗殺かどうかはわからないが、ちょっとは規制しないといけないような気もしてくる。我々国民は、テレビと質の低い番組のおかげてずいぶん馬鹿になってしまった。報道が、国家の機関であるのも、危険だが、愚かなる国民の思考と嗜好に合わせて、ますます低俗化するのも、これまた悪い。結局は、報道(テレビ)などは、我々の思考を停止させ、消費行動を促すつまらない道具でしかない。こんな、テレビをずーっとつけて見ているってなんか、おかしくないか?

なんらかの形で、マスコミにも責任を持っていくべきだ。国民のすべてが、理知的に判断できる知識や見識をもっているわけではない。そのような国民に、なにもかも報道してしまうのも、弊害がでてくるように思う。極端な事をいえば、月に何十時間以上テレビを見る人の選挙権は、三分の一しかない。みたいな制度があると、もっと政治よくなるだろう。

地デジ化・地デジ化と喧しい。あと、100日だ。僕はまだ、何ら対策をしていない。このまま、マスコミの言葉をかりれば、「地デジ難民」化してしまおうと思っている。テレビが見れない事を「難民」とまで言うか?!テレビが「あと、100日で、アナログテレビは見れなくなしますが、このまま、テレビを見ない生活もよろしいかと思います。馬鹿げている番組を見ないでいるほうが、かえって自分の時間が増え、趣味や家族の会話ができて、よろしいかと思います。」などとは、言わないだろう。

本屋をうろうろしていると、刊行されている本が、現代の日本の世相を良くあらわしている。
「ドラッガー思考・マネージメント」系の本、「イライラしない、怒らない」系の本、 「暴走老人」「老いの才覚」「晩年の美学」「自分の始末」など、老い系の本は、良く世相を反映していると思います。説明する必要もなく、1つ目は、テレビとゲームとネットのしすぎによる思考停止、2つ目はテレビと偏食とネットとゲームのしすぎと運動不足による、精神の脆弱化、3つ目は、まあなんといういのでしょうか?自然の摂理に逆らって起こる様々な問題。とにかく、問題になっているようです。

こういう症状が出ている場合、解決の方法はこの手の本を読むことをきっかけとして、物事の本質に迫る事かと思います。北野武氏の文章は良く週刊紙で見かけるし、映画も好きなので、機会があると、読むようにしている。今回、本屋さんをうろうろしているとこの本が目についたので、さっそく購入しました。この日の本当の目当ては、銀行の融資担当者向けの企業に対する与信の仕方、融資申し込み書類のチェックポイントを講義した本と、同じ目的で、練習問題も売っていた!のでそれも買ってきた。融資担当者の考えがわかれば、こちらも、それにそって書類を準備できるというものだ。今年の3月に、すべてのアパートローンが完済し次の物件の購入を検討できる時期に来た。まあ、これは、私事だ。

とにかく、この本は、是非、読んでほしいと思いました。日本人同士で結婚するなら、同じ価値観、同じように毒された環境の中で暮らしているので、とくに、物事の本質が解っていなくても、たいして問題はない。しかし、国際結婚となると、そうはいかない。自分達の結婚がどういう性質を帯びているのか?相手は金目当てなのか、半分くらいは、家族を作ろうという意図を持っているのか?もしくは、30%しかないのか、80%くらいあるのか?そしてその値は、上がっているのか下がっているのか?を、福島の原子力発電所の、放射線量のように、ずーっとモニターしていないといけない。福島の原発の現場で働くわけではないのに、線量の値は何ベクレルと気になるのに、自身の結婚の状態がどうなっているか?まったく気にならない、または、気になっていても、何ら対策を打たない、または、まったく勘違いをしている方がおられる場合がある。状態を察知するセンサーがまったくない方もおられる。センサーがなければば、何もフィードバックすることはできない。

この本を読むと、普段身近にあり好き好んでいるものが、いかに自身の人生に悪い事象であるかが良くわかる。結婚は、いままで、デジタル機器やインターネットで匿名で自分の本質はまったく問われない生活をおくって来られた男性が、いきなり、生の人間とそれも外国人と、性器の接触を伴うと言う、これ以上濃厚はないというくらい、濃厚な人間関係を構築されるのである。サウナから急に水風呂に飛び込むか、ボクシングの経験が無い人がいきなり、王座に挑戦するようなものだ。

最低限の上司や取引先などの人間関係で業務をこなし、生活費を稼ぎ、プライベートではまったくデジタル機器浸けの男性が、結婚(濃厚な人間関係をする。)されるのだから、なかなか大変だと思うのだが、本人にその矛盾点には気づいていない。そういう人は、自分の妻になった女性の画像を消して欲しいと、注文が多い。インターネットの世界に浸かっていると、ネット内の事が気になるみたいだ。業者を使って結婚したことがそんなに恥ずかしいことなのだろうか?自身の厳然たる事実だ。人によっては、「消さなくても良いし、広告にしてくれても良い。」と太っ腹な方もおられる。ずいぶんな違いだ。僕には、後者の方のほうが、好ましく見えるし、実際、国際結婚され奥さんの事で、なんら問題が起ったことはない。先日も事務所に遊びにきていただいて、近く日本行きという、話しをしていただいた。問題が起こるのは、どちらかというと、前者のお客様だ。

不動産投資の本に、グーグルのCEOのエリックシュミット氏が大学での卒業講義で、「パソコンの電源を切って、アナログに戻ろう。」みたいな事を言ったような事が書いてあった。

もちろん北野武氏も働く気の無い人、ひきこもりでも、ネットに接続する環境と経費は捻出すると、ネットの事には触れている。

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この本の中では、北野氏は遺伝子について述べている。この遺伝子の問題は、タブー中のタブーだ。医者に特化しているが、この件に触れるとは、さすがは北野氏だ。僕は、日本人の遺伝子は煮詰まっていると思う。アレルギー、アスペルガーなど子供の精神疾患・・・外国人との遺伝子と戦わせれば、消えてしまうような遺伝子が、この島国では、脈々と後世の受け継がれている。僕は、鼻がアレルギーだし、足が短く腰が弱い。この手の話しはときどき、自治体の首長などが、失言し話題になっている。

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◆難病で苦しんでいる子供や、一人暮らしの悲惨な老人をテレビに映して、みんなで涙してペットボトルに貯金した、1円玉か5円玉だかを寄付させてそれで終わりかよって思ってしまう。薄っぺらいというか、インチキ臭いっていうか。生きる事の苦しみも、いまではテレビでの見世物でしかない。見世物と言って悪ければ、テレビの向うに隔離してしまっているのだ。人生の苦しみは、テレビで見て涙を流すもので、自分達の生活とは何の関係もない。好きな物に囲まれて、好きな暮らしをするのが、いい人生なのだと親も思っているし、子供にもそういう教育をすする。人生は夢をかなえるためにある。自分のすきな事をして、生きたいように生きなさい、と。そいういうやり方でみんなそれなりにいい生活を楽しんでいるのだから、それでいいのかもしれない。世の中が豊かになったのだ。貧乏人の教育方針なんて、もはや無用なのだ。世の中が豊かになっても、思い通りにならないことがある。人は老いるのだ。歳をとっても、元気なうちはいい。けれど自分の始末ができなくなったとたんに、慌てることになる。生きる苦しみがテレビの向うから、こっち側にやってくるのだ。

菱マークより以上の文は北野氏の本からの引用させてもらった。ここでは、老いが具体的な苦労としてあるが、国際結婚したら、老いよりも先に、違う価値観を受け入れるという試練が待っている。好きな物にかこまれ、好きな生き方をしてこられた方が、さらに、娘のように若いタイ女性との同衾という甘い生活と引き換えに、この試練がセットでやってくるのである。この苦労・試練は会社勤めやビジネスの苦労・・すなわち金を稼ぐ苦労とは異質の物である。会社での人間関係はなんとかできているから、国際結婚でなにか問題がおこれば、それは結婚相手(タイ人)や僕(業者)に問題があるとする方が多い。日本は自由の国だから、そういう風に考えるのは一向に構わないが、もう一歩踏み込めていない。馬から降りてこそ見えてくるものがある。なによりも、自身の人生が物事の本質に迫らないものになってしまう。これをクリアするには、タイ語などのコミニュケーションはもちろん、相手を説得する能力、冷静さ、理論武装・・・すなわち、本屋の賑わしている、流行本のタイトル「「マネージメント」「いらいら」「ドラッガー」「思考」「老いの容認」・・・現代の日本人に欠けているのもがすべてが必要になってくるのです。長年の危機感にかける生活で欠けてしまったものをすぐに補うわけにはいかない。しかし、なにが欠けているのか?着想点に違いを知っておくと良いと思う。個別の論点の本を読むのも良いが、まずは、「超思考」に目を通して欲しいと思います。横の画像は、僕の好きな映画「ハンニバル」の、好きなシーンのレクター博士のセリフだ。このセリフの受け手は、捜査に行き詰まるFBIの新米捜査官クラリスだ。クラリス捜査官の追うのは、犯人だが、我々の追うのは、自身の人生の幸せだ。物事の本質が見えていないと、いくら努力しても目的が達成できない。





2011.4.1
震災の事で何かを書こうと思ったが、書きたい事がまとまらない。あまりに広い被災地、なかなか冷えない核燃料、刻々と状況がかわり目まぐるしい。

マスコミも悪いなあ、と思う。自ら、茨城県のホウレンソウには、ヨウ素が検出されたと報道しておいて、片方で、「風評被害」という言葉を使うのだから。おまけに、消費者に冷静な行動を取れといっている。蒙昧な視聴者を煽っているのは、とりもなおさず、マスコミだ。アエラが、防毒マスクの写真を表紙に使いひんしゅくを買っていた。まだある・・・「マスコミで取材された避難所には救援物資が山のように届き、取材されない場所は、食糧も不足している。」と、報道している。この格差を生んだのも、マスコミだ。マスコミというのは、自ら火をつけて、火事騒動を対岸の火のように眺める、天才だなあ。と思いました。被災地の取材では、支援物資がとどけられ、最後には、かならず被災者が「感謝しています。」と発言しているシーンをいれるように編集している。支援物資・支援というものは、受け取る側は本来、礼など言う必要がないと思う。マスコミが大衆や視聴者に迎合しているとすれば、我々、視聴者は被災者にお礼を言って欲しいと思っているのだろうか?そういう事であっては、絶対にいけないと思います。小さな事であるけれども、このあたりの我々の心境は重要だ。こういう細かい事は、タイ人との付き合いの中でも大変重要です。

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断舎離ではないが、物を良くすてています。粗大ゴミの処分は、予約制でそれも、かなり前(45日前)もって自治体に予約しておかないといけないということがわかり、レンタルでトラックを手配し、自らクリーンセンターに持ち込むことにした。引き受け費用は、10kgにつき、80円だ。多分、3〜400kgくらいありそうだらか、2400〜3000円というところか?1枚400円する粗大ゴミ券を多く買うよりかは安いが、レンタルトラック代で足がでる。しかし、いっさいがっさい捨ててしまえるので、一気のすっきりさせるつもりだ。僕がもちこもうと思っているクリーンセンターは、不燃も可燃も同じトラックでもちこめるが、大阪市のクリーンセンターは可燃と不燃は日をわけなくては、いけないので大変だ。建築業者の廃材には、可燃も不燃もまざって出てくる。日を分けるとういうことは、別の日にいくということだから、2日間かかるということになり大変面倒だ。

不用品を処分していると、「SWITCH」という雑誌がでてきた。1989年10月号だ。21年前、僕が23歳の時の発行の雑誌だ。いわゆるスノッブ系の雑誌だ。今の若い人には、わからない言葉と思うが、当時は普通の言葉だった。この言葉の意味をネットで調べると、「社会的地位や財産などのステータスを崇拝し、教養があるように上品ぶって振る舞おうとする人。学問や知識を鼻にかける気取った文化人。また、流行を追いかける人。」となっていた。スノッブおおいに結構!こんな時代こそ、必要だ。こういう行動は多いに結構だと思うし、そもそもこういうのが消費行動につながるのである。ただ単に物を買って喜んでいるうよりかは、知識まで取り込もうとしている点、さらに好ましい。背伸びもずっとしていると、その状態に慣れるというか、定着して本物になるということもある。また、良く言えば向上心でもある。

この紙面に、村上春樹の『我ら時代のフォークロア:高度資本主義前史』という寄稿がある。

ちょっと引用すると、
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これは、実話であり、それと同時に寓話である。そしてまた、我らが1960年代のフォークロア(民間伝承)でもある。

僕は、1949年にうまれた。1961年に中学校にはいり、1967年に大学にはいった。そして、例のどたばた騒ぎの中で二十歳を迎えた。だから、僕らは文字どうり60年代の子供(シックスティーズ・キッズ)たちであった。人生の一番傷つきやすく、一番未成熟で、それ故にいちばん重要な時期に、1960年代のタフでワイルドな空気をたっぷり吸いこんで、そして当然のことながら、宿命的にそれによってしまったのだ。ドアーズからビートルズからボブ・ディランまでBGMもばっちりそろっていた。1960年代という時代には、確かに何か特別なものがあった。今思い出してもそう思うし、その時だってそう思っていた。この時代には、なにか特別な物があると。

--中略--

そこにあったもの自体は、とりたてて珍しい物ではなかった。時代の回転が生じさせる熱や、そこにかかげられた約束や、ある種の物がある種の時期に生みだすある種の限定された輝かしさ、そして望遠鏡を逆からみているような宿命的なもどかしさ、英雄と悪漢、陶酔と幻滅、殉教と転身、総論と各論、沈黙と雄弁、そして退屈な時間待ち、エトセトラ、エトセトラ。どの時代にだってそういうものはちゃんとあったし、いまでもちゃんとある。でも我らが時代にあっては、そういうものがひとつひとつくっきりと手にとれる形で存在したのだ。ひとつひとつ棚にのっていたのだ。

それに、今見たいに何かを手に取ったら、隠れ蓑をかぶった広告だとか役に立つ関連情報だとか、割引サービス券だとかグレードアップの為のオプションだとか、そういうややこしいものがぞろぞろくっついてくることはなかった。
マニュアルブックをどっさりひとかかえ手渡される事もなかった。僕らはただシンプルに何かを手に取って、家にもって帰ることができたのだ。夜店でひよこを買うみたいに。すごく簡単でワイルドだった。そしてそれは、おそらくそういうやり方が通用した最後の時代だったのだ。

---------------------------------------------以上
村上春樹氏の文章力の素晴らしさもあって、なんか、読んでいるだけで、なんかムッとするような熱気を感じる。仕事上、様々の僕よりも年上のこの時代を経験された男性とお話をさえていただく機会があります。話しを聞かせていただいて思うのは、かなり卓越した自分の趣味とか、希望とか夢をもっておられるということです。ある男性は、音響(オーディオ)マニア、銀器のコレクション、ある男性はカーキチ、ある男性は、自分のバイクでアジアやロシアの横断、50歳で引退して、世界放浪の旅・・・その他、いろいろです。とにかく、僕らからしたら、桁はずれにすごい事を追求されておらたり、夢としていつか実現してやると、その炎を消さずに温めておられる。それに比較して僕たちを含め、後ろの世代はなんか没個性で小さくまとまってしまって、つまらない人生を送っていると思います。小型の情報端末をもって、御位牌でも拝むかのようにずーっと覗き込んでいる。姿勢は悪く猫背を通り越している。1960年代は、インターネットも、小型端末器もなかったが、なんか皆さんの話しを聞いているととにかく、夢があって話しがデカイ。自分の夢を追っている。現代は、「プロボノ」だとか、震災の情報提供をツイッターでするとか、なんか言えば、他人の役に立ちたいという言葉を口にする。僕は、他人を助ける前にネットや情報端末で、猫背になり矮小化している自分を助けるべきだと思う。そういう人たちに、1960年代の底ぬけにデカイ夢、ムッとするような熱気の中を生きた人のもっていた、自分を追求するパワーは見えてこない。他人を助けたり、社会の為になることをして、「ありがとう」と言ってもらえて嬉しくなるのも良いが、もっと直接的に自分のしたいことをしたらいいのではないか?と思う。簡単にいえば、1960年代の経験者は恒星(太陽)で、私達以降は惑星(月)だ。タイ女性からみても、惑星みたいな男性よりも、恒星みたいな男性のほうが、魅力的にみえるだろうと思う。



2011.3.14
今回の東北太平洋沖地震で、犠牲になった方々のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方々に対しまして、心よりお見舞いを申し上げます。

地球という惑星、水が多く、地軸が23.5度隕石の衝突で傾き、気候の寒暖が広い範囲でおこる奇跡の生命の惑星である。その、私達の地球も時には、自然災害を私たちにもたらす。

報道では、三陸では1000年に一度の大地震となった。自分の人生のなかで、阪神淡路大地震、そして今回東北太平洋沖地震と2回も怒る事となった。今回の地震の広範さは想定外で、今後、私達日本人に地震にたいする認識や恐怖感が大きく変わったと思います。今後、南海トラフでの地震も予想されるだけに、この地震で考えなければならないことは多い。

2011.2.3
前回に書いた事は、長々となってしまいましたが、要は、夫婦関係のあり方が、日本とはかなり違うという事です。また、私達の日本人同士の夫婦関係でさも、理想と現実は違う。タイ国際結婚を希望される方が、理想とされる結婚をイメージする場合、まず、一つ目のギャップが、日本人同士の結婚であっても結婚そのものが理想と現実は違うという、大きなギャップ、そしてもうひとつが、前回書いたような、タイと日本の結婚観の違い、これら、2つのギャップが、大きな勘違いを生み、国際結婚の失敗の原因になっている。リクルートのCMで勝手にイメージした理想や結婚にたいする甘い妄想と、タイ国際結婚の現実の違いは、二重のギャップによってもたらされている。

去年7月に大阪で、23歳の女性が、二人の幼児を放置し、餓死させる事件があった。
女性が美しく、ホストクラブ遊びしていたので、醜聞事件のようにTV局は放映していたが、ネットで、記事を読んでいると、お二人の遺体には、排泄物がついていて、胃は空で、冷蔵庫も空っぽだったということだ。ゴミをあさり、 カップ麺の容器についていた、食べ残しを食べたりしていたようです。

1歳と3歳の子等が、死に至るまでの経過に感じた、無念さや辛さ寂しさはいかような物でどのくらい深い物であったろうか?と思う。僕も3歳前の子の子育てをするが、少しの間、僕の顔をみないだけで、泣き出してしまう。また、「ちょうだい?」と言えば、自分の手にある干しブドウなど数の多いものは、食べ物を分けてくれる。(苺など1つしかないものはくれない。)3歳だと、いろいろな事ができる。多分、1歳の子が先に命を落としたと思います。3歳の長女(桜子ちゃん)はそれなりに、懸命に弟(楓くん)世話をしたと思います。3歳で、「死」の概念は理解できるのだろうか?生まれきてたった3年で、弟を看取る。こんな人生あるだろうか?理解できない理解しがたい、弟の死を理解し、そしてまもなく、自分もその運命を予感し、餓死してしまう。それも、トイレにいけず排泄物にまみれて。こんなに、みじめで無念な人生が他にあるだろうか?寄り添うように、亡くなっていたという事だから、弟の事を大切に思ったので、遺体の傍を離れなかったのだろうと思います。母や父からは愛をもらえなかったのに、弟に対しては愛情のかけらが幼い子の心に生まれたのでしょうか?この兄弟が、生きている間一秒一秒に感じた事、思った事はどんなであったろうか?と、思わずにいられません。

いろいろ人生があるが、世の中には、このように、冷蔵庫に残った食べ物で弟を世話し、寄り添って死ぬという、精一杯がんばったにもかかわらず、命を落とす事になってしまった言葉に表し難い苦難を受け入れざるを得なかった人もいる。

世の中、こんなに短く、悲惨な人生を送った人がいる。私達は大人で、いろいろな事が自分できる。もっと、人生を真剣に生きないといけないと思う。この兄弟の無念を少しでも偲んで自分の人生にいかしてあげて欲しいと思います。 そうすれば、ほんの少しは、この二人の兄弟も報われるのではないでしょうか?

タイ国際結婚を考える方、ちょっとはタイ語、勉強してくださいよ。上の兄弟の無念さをおもえば、訳ないはずです。